アニメ『もののけ姫』から見える日本文化

歴史・文化
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スタジオジブリ及び宮崎駿監督のアニメは世界的に大人気で、海外でも様々がことが話題になります。
特に話題になるのは『どの作品が1番好きか』ということで、大抵この議題で1番になるのは『千と千尋の神隠し』なのですが、意外なことに『もののけ姫』も上位にランクインされているようです。

『もののけ姫』は内容が日本的で難解なため、海外の人にとっては人気があまりないと思っていたのですが、海外でも好評を得ていてとても意外に感じました。(正直、日本人ですらほとんどの人が『もののけ姫』の深い内容を理解していない)
『もののけ姫』とは、日本の歴史、地理、民族、生態系、宗教観などの概念が多分に詰まった作品です。
ということで、今回は『もののけ姫の正しい見方』と題して、『もののけ姫』から見える日本の文化を探っていきたいと思います。

アシタカが最初に住んでいた村はどこか?

まず、『物語の冒頭に登場する主人公・アシタカが最初に住んでいた村はどこか?』という問題を探っていきたいと思います。

『もののけ姫』の冒頭に登場する祟り神(ナゴの守)は、遥か西からやって来たことが劇中で言及されていますが、逆に言うと、アシタカが最初に住んでいた村は、日本のかなり東のほうということになります。
当時の日本は、西の端は九州、東の果ては東北地方までです。(実際は南西と北東だが、昔の日本は日本地図を極端に横長に書くなど、単純に西と東で分けていたようである)
以上のことから、アシタカが最初に住んでいた場所は東北地方であることが想定され、このことはシシ神の森に着いたアシタカのセリフからも読み解くことができます。
例えば、アシタカはサンに対し東の果、エボシに対して東の北の間から来たと言っており、以上のセリフを読み解けば、アシタカが最初に住んでいた村は東北地方にあったと考えるべきでしょう。

更にアシタカの服装にもヒントがあります。
アシタカやアシタカが住む村の人たちは、他の地の人と比べてかなり異質な服を着ているのですが、これは蝦夷(エミシ)と呼ばれた東北地方の北部にかつて住んでいた部族の特徴であり、これらを総合的に考えれば、アシタカは東北地方北部の山の中に住んでいたことが作中から見て取れるのです。(間接的にアシタカが蝦夷の民であることは作中でも言及されている)

もののけ姫はいつの時代の話か?

次に、『もののけ姫がいつの時代の話か?』という疑問を探ります。

この疑問は、劇中のセリフからある程度推測することができます。
アシタカが村を去る前の晩に、村の長老のような人が以下のようなことを言います。

『大和との戦さに敗れこの地にひそんでから500有余年、いまや大和の王の力はなく、将軍どもの牙も折れたと聞く』

参照:もののけ姫のセリフから

東北地方に住んでいた蝦夷の民と天皇及び朝廷が支配する大和民族の間では、7世紀から断続的に戦闘が行われており、このような戦いは奥州藤原氏が東北地方をほぼ平定する11世紀の終わりまで続きます。
村の長老はこのような戦いからから500有余年(500年余りという意味)が過ぎたと言及しているので、『もののけ姫』の時代は12世紀から16世紀であることがわかります。
更に、大和の王(天皇や朝廷)に力がないということは、武家政権(幕府)が始まっているということであり、将軍の牙も折られたということは、その武家政権(幕府)の力も弱まっているということでしょう。

つまり、『もののけ姫』は天皇も幕府も権力が落ちていた戦国時代の物語であり、具体的には戦国時代初期15世紀の終わりから16世紀の初め頃の話と想定されます。

それを証拠に、アシタカは旅の途中で侍たちの戦争に遭遇しますが、戦国時代の初期には、このような小規模な戦いが至る所で起こっていたのでしょう。
また、たたら場には浅野という侍の使者も登場しており、群雄割拠した戦国時代の様相を感じとることができます。

唯一時代がズレていると感じる点は、16世紀後半に流通し始めた銃が登場する点ですが、これには明確な理由があります。
日本は、古来から中国から様々な道具や文化が伝来していますが、なぜか銃は中国から伝わらずにヨーロッパから伝わってきました。
『もののけ姫』は、この銃の伝来がおかしいのではないかという仮設の基に描かれており、そのため『もののけ姫』では中国式の少し変わった構造の銃を使用しているのです。(エボシが明国=当時の中国の銃は重いと発言もしている)
故に『もののけ姫』は、正史の鉄砲伝来以前の話と想定できるのです。
『もののけ姫』で登場する『石火矢』や『国崩し』という言葉は、16世紀後半に伝来したカートリッジ式の銃のことなので、時代背景が多少ごちゃ混ぜになっている部分もありますが、いずれにせよ全ては戦国時代に登場する言葉や道具なので、『もののけ姫』の年代が戦国時代であることは間違いありません。(石火矢や国崩しは戦国大名の大友宗麟がポルトガルから購入し、1586年の臼杵城の籠城戦で使われました)

シシ神の森はどこか?

次に、『シシ神の森やエボシたちが住むたたら場の場所はどこか?』という問題を探ります。

アシタカが住んでいた村の特定のときにも説明しましたが、ナゴの守はアシタカの住む村へ西の果てからやってきました。
また、アシタカの旅の途中で出会った唐傘連の頭領であるジコ坊も、シシ神の森を遥か西であるとアシタカに説明しています。
となると、たたら場は日本の西の果てである九州か?
と思う人も多いかもしれませんが、これはあり得ません。

アシタカが海を渡るシーンがないこともそうですが、もっとハッキリとした理由でたたら場が九州でないとわかるシーンがあるのです。
それはジコ坊がシシ神の森に来るイノシシの大群を偵察するシーンで、ここでジコ坊の部下と思しき人物が、イノシシのリーダーを『鎮西の乙事主』であると言及します。
この鎮西こそが九州の古い呼び名なのです。
つまり、シシ神の森及びたたら場は九州ではなく九州に近い本州の西端近辺にあり、ハッキリと言ってしまえば出雲地方(現在の島根県)がシシ神の森とたたら場のある場所になります。

なぜそう言い切れるかというと、出雲地方(奥出雲)は当時、製鉄の一大拠点だったからです。
通常のたたら場は3日3晩火を絶やさず燃やし続けて鉄を作るのですが、エボシのたたら場では作中のセリフから4日5晩火を絶やさず精巧な鉄を作っています。
これほど大掛かりの製鉄の拠点は出雲地方しか考えられず、本州の西端近辺という条件にも合っています。

シシ神の森が出雲地方であると言える理由はもう1つあります。
そもそも乙事主が率いた九州のイノシシたちは、なぜ海を渡ってシシ神の森にやってきたのでしょうか?
それはイノシシなどの自然を司る者にとって、シシ神の森が極めて重要な場所だからに他なりません。
出雲地方という場所は、自然崇拝を基本とした日本の宗教や神話にとって特別に神格化された場所です。
もしシシ神の森が出雲地方であるのなら、イノシシたちが海を渡ってわざわざやってくる理由としては十分となります。
古代における日本神話の中で、もっとも神格化されていると言っても過言ではない出雲地方をシシ神の森と考えるのは極めて自然であり、日本の神(シシ神)が最後に存在した場所として、出雲地方以上に適切な場所はないのです。

シシ神の森=出雲地方ということになると、アシタカは劇中で東北地方の北部から出雲地方まで日本をほぼ縦断(横断)していることになります。
これは直線距離で800kmを超え、移動距離にすれば1000kmを遥かに超えていることでしょう。(おそらく移動距離は1500km以上ある)
つまり、劇中ではあまり描かれていませんが、『もののけ姫』を時間経過的に考えれば、そのほとんどが移動に使われていたわけです。

『もののけ姫』に対する細かな質問に対する答え

続いては、海外のサイトで見つけた『もののけ姫』に関する疑問について、個人的な想定も踏まえ答えていきたいと思います。

アシタカはアイヌなのか?

まずは、『アシタカはアイヌなのか?』という疑問についてです。

これは正直難しいところだと思います。
現在のアイヌ民族は基本的に北海道に定住していますが、北海道と本州は海で隔たれているため、現在におけるアイヌとアシタカは同一の民族ではないと想定されます。
東北地方の北部は、ヤマト王権やその後の朝廷(大和民族)の支配が遅れ、独自の文化を持った民族集団が暮らしていました。
このような集団がアシタカの先祖になる思われます。

そもそもアシタカの一族は、セリフから当初はもっと南に住んでいたが大和民族と戦いに破れ東北地方北部の山奥まで逃げ延びた集団と思われます。
具体的には、朝廷軍と戦った東北地方の蝦夷一族であるアテルイなどが、アシタカの先祖になるものと予想されます。
ということで、アシタカは大和民族よりかはアイヌ(縄文人)に近かったかもしれませんが、北海道のアイヌに比べれば大和民族に近かった存在と推定できます。

ジコ坊は何者なのか?

続いては、『ジコ坊は何者なのか?』と疑問です。

ジコ坊は、設定上、天皇に仕えている傭兵集団である師匠連の一員で、その中の唐傘連の頭領ということになっています。
唐傘とは、現在では和傘のことですが、元は海外から伝来したものでした。
唐と(から、トウ)いう言葉は、もともと中国を意味する言葉で、後に異国全般を示す言葉としても使われはじめました。
唐辛子、唐揚げ、トウモロコシなど、唐(から、トウ)を使った言葉は現在の日本にも多数残ってます。
以上のことを踏まえると、唐傘連は日本国外の傭兵集団なのかもしれません。
少なくとも、外国(中国?)と何らかの関連性がある集団であると想定され、このことは日本の歴史で見ることのない特殊な火薬兵器使っていることからも想定できます。

ヤックルは何の動物なのか?

続いて、『ヤックルは何の動物なのか?』という疑問です。

日本の地上にいる野生の大型哺乳類は、人間以外にクマ(ツキノワグマ、ヒグマ)、カモシカ、シカ、イノシシ、サルしかいませんが(かつてはオオカミもいたが)、この中でヤックルに近い動物はカモシカのみです。
シカにも近いという意見もあるかもしれませんが、ヤックルの角はシカ科動物の角の形状ではなく、ウシ科動物の角の形状です。
カモシカは、シカという名前がついていますがウシ科の動物なので、ヤックルはカモシカに似た動物と考えたほうがいいでしょう。
設定上のヤックルは、アカシシという大カモシカということになっており、ようはカモシカ系の架空の動物と考えるのが自然かと思います。

アシタカはカヤから貰った首飾りを、なぜサンに渡したのか?

続いて、『アシタカはカヤから貰った首飾りを、なぜサンに渡したのか?』という疑問です。

アシタカは故郷の村を出る際に、お互いをいつも想うと約束して許嫁であるカヤから首飾りを貰いましたが、こともあろうにその首飾りをサンにあげてしまいます。
このことに違和感を感じる人が少なからずいるようですが、これはアシタカの気持ちが心変わりしたというような簡単な話ではありません。
あのシーンは、アシタカが故郷に帰らないことを決断する正に決意の行動を表しているのです。

上記したとおり、アシタカは東北地方の北部から出雲地方までの大移動をしています。
東北の北部から出雲地方(島根県)への陸路移動は今でもかなり大変ですが、当時はインフラ設備が整っていないため、その困難の度合は今と比べようもなく、万が一アシタカが故郷に帰ろうとしたところで実際に帰れる補償もありません。
当然、村を出たときから帰らないつもりだったでしょうが(そういう掟でもある)、アシタカには祟り神の呪いが解けたら帰れるという思いもどこかにあったことでしょう。
そんなアシタカが故郷の許嫁から貰った首飾りをサンに渡したということは、こういった迷いを断ち切り、これからずっとシシ神の森とたたら場で生きていくことを決断したわけです。
そしてこのことが、アシタカのサンに対して最後に言う

『サンは森で私はたたら場で暮らそう。共に生きよう。会いにいくよヤックルに乗って』

参照:もののけ姫のセリフから

というセリフに繋がっていくのです。

日本にはシシ神がいるのか?

最後に、『日本にはシシ神がいるのか?』という疑問に答えます。

日本人(大和民族)の信仰とは、自然崇拝と先祖崇拝が融合した神道が基本となっています。
神道はあらゆるものに神が宿るという超多神教であり、『千と千尋の神隠し』の油屋の客はみんな神様ですし、ハクも川の神様でした。
大きな木や岩なども神格化される対象となり『しめ縄』が巻かれますが、これは『となりのトトロ』に出てくる大きなクスの木でも確認することができます。
そして自然崇拝の対象としてもっとも神格化されるのが森であり、日本にあるほとんどの神社の裏手には鎮守の森という森林地帯が設けられのはそのためです。
つまり、森の中には神(シシ神)が存在しているのかもしれません。

しかし、正確には”いた”と表現したほうがいいでしょう。
『もののけ姫』の劇中、イノシシ族のリーダーである乙事主が、

『わしの一族を見ろ。みんな小さくバカになりつつある。このままではわしらはただの肉として人間に狩られるようになるだろう。』

参照:もののけ姫のセリフから

と言っていますが、これは今まで信仰の対象であった森が人によって開発され、信仰心が弱まってきたを示唆しているのです。

日本の国土の大半は山岳地帯の森林で遠くから見れば緑豊かですが、実際近くで見れば山の木は人の手によって植林された杉ばかりとなっています。(そのため杉の花粉症が国民病となっている)
このように、現在の日本人の自然や森に対する信仰心が弱まっていることは間違いありません。
『もののけ姫』においては、森の信仰と開発の均衡に対するせめぎ合いが最後にシシ神の森で起こり、シシ神が死んだことで森に対する信仰心は人間の開発の欲に負けてしまったわけです。

実際には、自然を守るものにも開発するものにも理由があり、どちらが一方的に悪いわけでもないでしょう。
『もののけ姫』で言えば、サンにもエボシにも言い分があります。
このどちらが悪いわけでもない両陣営の主張や争いを、中立の立場にいるアシタカを通して視聴者は感じることができるのです。

そしてこれは、宮崎駿監督自身にある矛盾や葛藤と言うこともできます。

宮崎監督は自然を愛する一方、飛行機や車などの機械的な文明品も好きな人です。
この一見矛盾した考えについての葛藤こそが『もののけ姫』の本質なのです。(宮崎監督の最初のオリジナル監督作品『風の谷のナウシカ』も同じテーマでした)
そしてこの矛盾や葛藤は、宮崎監督に限らず現在における多くの人々が感じている人類共通のテーマなのかもしれません。

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