韓国系の海外の反応サイトで、韓国には日本のような大きな文化財がほとんどないとの指摘がありました。
この手の指摘に対して、日本の文化財は近年になってコンクリートで作られたもので、本当の意味での文化財ではないと主張する韓国人が必ず出てきます。
以前から日本の文化財をコンクリート造だと否定する韓国人の意見を度々目にし違和感を覚えていたのですが、過去に1度近いことを記事にしたこともあってスルーし続けていました。
しかし今回の記事は看過出来ないレベルに酷い内容で、姫路城の写真を大阪城だとしてコンクリート造だと主張したり、金閣寺をコンクリートで作られているなどと事実に合わない主張が繰り返されていたのです。
その記事の中では、
・法観寺の五重塔
・東寺の五重塔
・姫路城
・出雲大社の神楽殿
の写真が紹介されていたのですが、この中でコンクリートで作られているのは出雲大社の神楽殿だけです。
法観寺の五重塔は約600年前の1440年に建てられたもので、1644年に建立された東寺の五重塔は高さが54.8mもあり近代以前の建物としては日本最高を誇っていました。
当然のことながら、この2つの五重塔は木造建築となっています。
姫路城の天守閣は現存天守と呼ばれる当時(1580年築城)の姿を残した城で、世界最高(高さが高いという意味ではない)の木造建造物とまで呼ばれ、日本で始めて世界遺産に選ばれた4箇所(他は白神山地、屋久島、法隆寺)の1つです。
出雲大社の神楽殿は1981年に建て替えられたプレキャストコンクリート造ですが、肝心の本殿は木造建築となっています。
ただ、この本殿は古くからずっとあるわけでなく、おおよそ60年置きに遷宮と呼ばれる建て直し作業が繰り返されてきました。
このような作業があるため、日本には宮大工という神社仏閣を専門とした大工が普通におり、578年から続く世界最古の企業も日本の宮大工をまとめた企業となっています。
装飾品などの職人も含め日本には神社仏閣を管理維持するための人が多数いる他、姫路城が2009年から2015年にかけて大改修をしたように現在でも城の建築に対応出来る環境が整っているわけです。
文化財とは昔の建造物がただあるだけではなく、昔の建造物を残していく人たちがちゃんと存在していることが肝心となります。
日本に古い文化財が多数残っていることは、市民の文化財を残そうとする気持ちとそれを成し遂げる技術の伝承があってこそなのです。
そしてこれこそが文化そのものと言えます。
木造建築は何もしなければ朽ちていくだけであり、そんなボロボロの建物が残っていても文化財とは言えません。
文化の本質は文化財自体ではなく、文化を残していく人にあるのです。
一部の韓国人は日本の文化財をコンクリート造だと否定的な意見を持っているわけですが、私からすると、たとえコンクリート造であっても自国の文化財を残そうとしないほうがよっぽど理解が出来ません。
結局のところ、韓国人は日本に比べ自国の文化財があまりにも見窄らしいことをひがんでいるだけのように思います。
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コメント
現在では文化庁の指針により、かつて城などがあった場所にコンクリートで天守を再建する事は認められていません。
建物は無くなっていても、城跡の土地などは史跡に指定されている場合が多いため、そこにコンクリート建築物を建てると基礎工事で史跡を破壊してしまうためです。
昭和期に日本各地でコンクリートによる城の天守が再建されましたが、当時は今の様な文化庁の指針が無かった事と、建築基準法による木造建築の高さ制限に違反するためです。
現在認められている再建方法は、解体や焼失などで天守を失う前の正確な資料が揃っていて、当時と同じ木造による復元が可能な場合のみです。
しかし、それらの資料が残っている例は極めて少なく、再建された例はわずかです。
大洲城は豊富な資料が残っていましたが、建築基準法の木造建築高さ制限を受け、度重なる交渉の末に保存建築物として法律の適用除外扱いで木造復元されました。
現在では名古屋城や高松城などが木造復元を目指していますね。
名古屋城は戦前の木造当時に正確な図面が作られ、豊富な写真も残っていますが、エレベーターを付けろと要求する者がいる事などがネックになっています。
高松城は昔の外観の写真が残っている事と発掘調査で柱の位置は分かっていますが、内部の図面や木組み資料などが存在しない事がネックになっています。
名古屋城も高松城も建築基準法の木造建築の高さ制限を越えますが、復元されるとなると大洲城のように法律の適用除外扱いでしょうね。