前回の記事で、沖縄や日本の民族的な話をしましたが、この問題は日本人の成り立ちに関わる分かりづらい話を含んでいるため、ここで1度、日本人がどこからやってきたのかという問題を整理したいと思います。
また、以前に書いた『アイヌ民族は白人系の先住民族なのかという疑問について』という記事に若干正確性を欠いていた部分があったため、その補足としても日本人の祖先に関する記事を書きたいと思います。
海外の反応サイトでは、『日本人を自分たちの末裔だ』と主張する中国人や韓国人や、『日本人の祖先はアイヌという白人だ』と主張する西洋人がおり、日本人の成り立ちについて、かなりの誤解があるようです。
人類がユーラシア大陸全域(高地や極地などは当然除く)にまで広がったのは45,000年前と言われていますが、日本は海で隔たれていたため、初めて人類がやってきたのはもう少し時代が進んだ38,000年前とされています。
日本へ最初の人類がやってきたルートは3つの候補があり、現在も激しい議論がされている状況で結論は出ていません。
まずは、この3つのルートについて個人的考察も含め説明していきます。
大陸系(対馬ルート)
考古学的事実から、38,000年に初めて日本へやってきた人間は、この大陸系(対馬ルート)から来たと思われています。
38,000年前は、氷河期の影響で海面が低く朝鮮半島と対馬の距離が今より近かったとは言え、当時の人の航海技術で対馬海峡を渡るのは至難の技だったことでしょう。
そのため私は、このときの日本への人の流入は規模が小さく本格的なものではないと考えます。
氷河期でもっとも海面が低かった20,000年前なら対馬海峡が非常に狭く、海を渡るのも難しくないでしょうが、38,000年前は距離的にも航海技術的にも大陸系(対馬ルート)からの本格的な人の流入は難しいと思うのです。
大陸系(対馬ルート)から日本へ人が大規模に移入したのは、2,500年程度前のことと想定されています。
この頃の中国は秦の始皇帝が初めて中国を統一する少し前で、各地で激しい戦争が繰り返され、それまであった様々な国がいくつも滅亡していました。
そもそもこの頃の中国の戦乱は春秋戦国時代と言われ、紀元前8世紀から紀元前3世紀までの長い期間続いていたため、そんな戦乱を避けるためか、かなりの人が中国の地を離れていったそうです。
この時代になると航海技術も相当上がっていたため、氷河期が終わり対馬海峡が広がっていたとしても、多くの人が中国から朝鮮半島を経て日本に移動することが可能でした。
ただ、米の遺伝子を分析したところ、中国から日本への人の流入は10,000年以上前から徐々に始まっていたそうです。
氷河期(最終氷期)が終わったのは15,000年ほど前ですが、海水面の上昇は18,000年前から6,000年前までに120m以上も起きており、10,000年前は対馬海峡が今より狭くまた黄海も陸地部分が多く、中国からの人の移入が容易だったのでしょう。
南方系(沖縄ルート)
沖縄本島で発見された有名な人骨『港川人』は、およそ20,000年前の人骨と言われています。
先島諸島の石垣島には28,000年前の人骨も確認されており、およそ30,000年ほど前に台湾から日本(先島諸島)へ人が流入しているものと想定されます。
当時の台湾は、氷河期の影響による海水面の低さのため中国と陸続きでしたが、台湾から先島諸島の海域距離は今とほとんど変わりませんでした。
そのため、当時の航海技術でこの距離の海を渡れるのかは疑問に感じるのですが、台湾近辺に住んでいた人たちは、海をフィリピン方面に南下して最終的にイースター島にまでたどり着いたポリネシア人の先祖であり、航海技術や挑戦精神がとても高いことが伺えます。
台湾から日本(先島諸島)への人の流入と、フィリピン方面への人の流入は時代が相当ズレているのですが、事実として沖縄本島に港川人がいて、石垣島では28,000年の人骨が見つかっているので、台湾から海を渡って日本へ人が流入してきたと考えるのが極めて自然です。
先島諸島から先の沖縄諸島や九州までは、黒潮の潮流を使って北上したものと思われます。
ただし陸続きではないので人の流入規模は大きくなく、生活圏の広がりには相当の時間がかかったものと思われます。
北方系(北海道ルート)
北方系(北海道ルート)から日本への人の流入は、25,000年前から30,000年前に起こったと思われます。
道具の類似性などから考え、おそらくはバイカル湖周辺にいた人たちが日本に移動してきたのでしょう。
氷河期は一貫してユーラシア大陸と北海道がサハリン島を通じて陸続きだったため、マンモスなどを追って日本までたどり着くのも自然です。
今でも極寒の地であるサハリン北部近辺のユーラシア大陸北東部に、氷河期でも人が生活していたとは信じがたいですが、人類は更に北のベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸まで進んでいったのですから、当時の人類は極寒の寒さにも十分適応していたのです。
北海道と本州は氷河期でも津軽海峡で隔たれていましたが、冬になると氷で覆われ陸続きになり、四国や九州まで完全に陸続きとなっていました。
このように北方系(北海道ルート)は他のルートと違い、普通に歩いて渡ってくることが可能だったのです。
ちなみに、この北方系(北海道ルート)の人たちは白人ではなく古モンゴロイドに分類される黄色人種です。そもそも黒人(ネグロイド)、白人(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)という分類自体が、現在では全く意味がないと言われています。
私は、この3つルートの中で日本人に1番影響を与えているのは北方系(北海道ルート)だと考えています。
北方系(北海道ルート)から日本への人の流入は3つのルートの中で1番遅いのですが、陸路を歩いて来ることが可能なため、海路を船で渡る他の2つのルートより人の生活圏が広がっていくスピードには雲泥の差があると思うのです。
大陸系(対馬ルート)や南方系(沖縄ルート)からも人類はそれなりに日本へ進出したでしょうが、この2つのルートには、ある時期に大きな問題が発生しました。
それは7,300年前に起こった鬼界カルデラの噴火です。
鬼界カルデラは九州の南の海域になる巨大火山で、現在噴火すれば最悪1億人が死ぬと言われています。
この鬼界カルデラの噴火により、当時の沖縄諸島や九州が壊滅的な被害を被ったことは間違いありません。
当時の日本は、南西部に大陸系(対馬ルート)や南方系(沖縄ルート)の人が多く、北東部に北方系(北海道ルート)の人が多かったと想定されますが、7,300年前の鬼界カルデラの噴火で被害を被ったのは大陸系(対馬ルート)や南方系(沖縄ルート)が中心で、この時期に日本人の大陸系(対馬ルート)や南方系(沖縄ルート)の血は相当薄まったものと考えられるのです。
現在の日本人の遺伝子的に、南方系(沖縄ルート)の遺伝子があまり継承されていないのはこのためでしょう。
そして、この鬼界カルデラの噴出後に多くの人が生き残った北方系(北海道ルート)の人たちが、その後の日本全体に広がり、日本人がイメージする『縄文人』と呼ばれる存在となったと思われます。
アイヌ民族と沖縄県民が遺伝子的に近いという事実も、こういった経緯があったためと思われます。
その後、2,500年ほど前に大陸系から大規模な人の流入があり、北方系(北海道ルート)の人たちと混血したのが『弥生人』で、これが現在の日本人の98.5%を占める『大和民族』なのです。
南方系(沖縄ルート)からの人の流入は、既に沖縄諸島を含めた日本全域に人(縄文人)が住み始めていたため起こリずらい状態になっていたとも考えられますし、もしくは気候変更による微妙な潮流の変化で海を渡るのが難しくなっていたのかもしれません。
以上、日本の先祖及び日本人はどこからやってきたのかについて考えてみました。
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