新型コロナウイルスの対応にみる日本型民主主義の脆弱性

政治
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現在、新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言が出されていますが、この緊急事態宣言で政府と東京都、または地方自治体同士で揉めている様子が伺えます。
私は、この問題について日本の危険性を感じます。

こういった危険性については、以前にも強く感じたことがありました。
それは福島第一原発事故のときです。
福島第一原発に問題が起こった際に東電の電話会議が行われ、それが後に公開されました。
記憶が若干曖昧ですが、福島第一原発にある1つの格納容器が圧力が上がり、ベンドと言われる圧力を逃がす作業に迫られたことがあったのですが、電源喪失のためバブルを空ける遠隔操作ができずに爆発の危機が迫っていました。
核燃料の入った格納容器が爆発したら福島第一原発から全作業員が退避せねばならず、福島第一原発にある原子力発電が連鎖的に事故を起こしてしまいます。
そんなことになったら、東日本の大部分が避難対象地域になるような正に国家的な危機でした。

それを回避するには放射線が高い危険な場所に行って直接操作する必要があるのですが、この一刻を争う際に東電の電話会議は混乱する一方で、誰が責任をもって指示する立場なのか全然分からず事態がまるで前進しなかったのです。
誰か1人が命を懸けて作業すれば多くの国民を救うことができても、現在の日本的な民主主義感覚ではその1人を決めることができないのだと、私はこのときに強く感じました。

そして、今回の新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言でも同じような危険性を感じます。
緊急事態宣言に関わる国や自治体の記者会見を見ていると、誰がこの問題の指揮をしているのかよく分からず、お互い足を引っ張ったり責任のなすり合いをしているようにすら見えます。
その間にも新型コロナウイルスの感染は広がり、取り返しのつかないよう事態にもなりかねません。

こういった国難とも言えるような大きな問題は、独裁国家のような強権的な政権のほうが素早い対応ができることでしょう。
新型コロナウイルスの問題について、共産党独裁政権の中国はかなり強引な形で大規模な都市封鎖を行っていますし、北朝鮮との休戦中で国民の主権が抑えられている韓国も大規模な行動制限や情報公開を行い感染拡大を防いでいます。

国家の危機的状況下で対応が遅れるという問題は、民主主義社会全体の問題のように思えますが、日本は特にその傾向が強く出ると思われます。
日本は平和的な憲法もった議会制民主主義で、国民全員が番号登録されているようなこともありません。
ですので、非常時であっても強権的なやり方で国民の行動を制限することができず、今回の緊急事態宣言に強制力がないことも有名な話です。
だからといって、今回の問題を契機に憲法改正を行い、より強権的な政府ができるというのも違う気もします。

以上のことを踏まえ考えると、戦後の日本は非常にアンバランスの上に成長してきた特異な国であるということが分かると思います。
いずれにせよ、1日も早く日本がこの国家的危機から脱することを願うばかりです。

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