本日放送された将棋のネット番組で、プロ棋士の深浦康市九段が、プロになった記念に師匠の奥さんから”袴”をプレゼントされたエピソードを話していたのですが、このことに対し、とある26歳の女流棋士が、
『袴はタイトル戦でしか着れない』
という発言をしていました。
袴は履くのか着るのか問題はさておき、この発言に私は大きな違和感を感じました。
将棋の対局は、普段はスーツなどのカジュアルでない服装をすることが義務付けられ、タイトル戦では和服を着るのが慣例となっているので、上記した女流棋士の発言は正しいようにも聞こえます。
しかし冷静に考えて、袴は本当にタイトル戦でしか着れない(履けない)でしょうか?
当然ですが、袴はいつでも履くことができます。
普段の対局だろうが、コンビニ行くときだろうが、家でくつろいでいるときだろうが、いつだって袴は履いていいのです。
現在の日本おいて、袴を履くことを規制する法律などは一切ありません。
では、上記の女流棋士は、なぜこのような間違った考えを持ってしまったのでしょうか?
それは、現在の日本で和服を着る人が極めて少ないからです。
アニメ『サザエさん』などを見るとわかると思いますが、昭和期の日本では普段お生活でもそれなりに和服は着られていました。
しかし現在の日本では、特別な職業の人か特別な行事のときぐらいでしか和服は着られません。
愛国主義者のデモですら、ほとんどの人は洋服を着ています。
このような状況があるため、上記の女流棋士は袴はタイトル戦でしか履かないものと無意識的に思ってしまったのでしょう。
しかし、和服を着ることが少なくなった現在の日本においても、将棋の棋士は男女問わず比較的和服の着る機会が多く、タイトル戦でなくとも和服に触れる機会が多い職業です。
そんな和服文化と深く関わりのある将棋界の人が、『袴はタイトル戦でしか着れない』というトンチンカンな発言したことは、私にとって衝撃的で悲しくなりました。
日本人は常に和服を着るべきだとは言いませんが、せめて和服を着て歩くことが特別でない程度にはなってもらいたいと、私は常々思っています。
しかし現在の日本で若者が着物を着ていたら、多くの人は何らかの行事があると思うのではないでしょうか?
つまりは、普段何もないときに若者が和服を着ることに対し、ほとんどの人は多少なりとも異常性を感じているわけです。
そんなこと言われても、現在の日常生活を和服で過ごすのなんて、面倒くさくてしょうがないと思う人が多いことでしょう。
確かにそのとおりです。
しかしそれは、和服を着る人が極端に少なくなったため、本来あるべき和服の進化がなかったことが原因です。
和服も本来なら現在の生活に合わせ進化するべきで、着る人が多ければそういった進化もあったはずです。
和服そのものの素材や構造はもちろん、和服着用時の便利な道具なども多数作られたことでしょうし、概念的にも、車の運転を考え和服と運動靴の組み合わせなどが許容されていたかもしれません。
ですので、今からでも和服を着る人が大幅に増えれば、和服もそれなりに進化していくと思います。
現実的問題、今後の日本で和服を着る人がどんどん増えていくとも思えませんが、せめて国会議員ぐらいは日常的に和服を着ていただけないかと思います。
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