今回は、日中戦争時代に起こった(とされる)南京大虐殺(南京事件)という重いテーマについて考えていきたいと思います。
当時の南京について
南京大虐殺(南京事件)を論じる前に、まずは南京そのものや当時の南京の様子について書き示めします。
南京の定義について
南京の定義は1つではなく多岐に渡りますので、以下で説明します。(全て日中戦争当時の定義)
南京行政区:南京市と近郊6県のことで東京都、埼玉県、神奈川県を合わせた面積と同程度の広さ。
南京市:南京城を中心とした地で城区と郷区からなる。
南京市城区:南京城と城外周辺(下関区、浦口区)の人口密集地。
南京城:城壁に囲まれた南京の中心地で、広さは40平方キロメートル(東京都江東区や沖縄県那覇市と同程度)ほど。
日本人の一般的な認識では、南京城入城後における日本軍の問題行動が、南京大虐殺(南京事件)に当たる行為と捉えられます。
しかし中国政府が定める南京大虐殺(南京事件)は、南京行政区全体で起こった日本軍によるあらゆる被害を指すケースが多いようです。
南京における時系列
歴史的事実として判明している日本軍による南京攻略戦の時系列を確認します。
1937年8月15日:南京に対する日本軍爆撃機の空襲が始まる。
11月25日:日本軍が南京への進軍開始。
12月4日:日本軍が南京市郊外まで進軍。
12月7日:南京城へ攻撃を開始。
12月10日:日本軍の総攻撃を開始。
12月13日:南京城陥落。
12月14日~:南京城内の敗残兵掃蕩を開始。
12月17日:日本軍による南京城入城式が行われる。
1938年3月28日:中華民国維新政府が南京にて成立。
残された映像で見る限り、入城式の時点では南京城内の街はある程度整備されており、以降の南京市は比較的平和であったようです。
1938年のお正月には、南京の子供が爆竹で遊べるほど平和であった様子も確認できます。(爆竹の音は銃撃音と間違いかねないような音にも関わらず、そのような遊びができていることは南京城内が平和だった証拠といえる)
以上のことから推察するに、南京大虐殺と呼ばれる日本軍の問題行動のほとんどは、南京攻略の12月13日から入城式前日の12月16日が中心だった想定されます。
南京市の推定人口
南京大虐殺における論争の的になりやすい死者数の判断材料として、当時の南京市の人口推移をまとめます。
1937年3月末
調査によるところ、この時点の人口は、101万9667人(城区:85万人、郷区:15万人)とされている。
8月15日~
日本軍の空襲爆撃もあり、南京を去る人が多数現れる。
11月中旬
国民政府は南京から重慶への遷都。
南京市政府(馬超俊市長)によるところ、この時点の人口は50万人程度と想定されている。
11月27日
在留外国人に対して避難勧告が発令。
馬超俊市長は、この時点で30~40万の人が南京に残っていると推定している。(南京城内の人口なのか、南京市全体の人口なのかは不明)
12月7日
蒋介石が南京脱出。
南京にいる外国人(ナチスのジョン・ラーベ)によると、日本軍の南京城攻略作戦開始時点で20万人の人が南京に残っていると想定している。(南京城内の人口、もしくは安全区(難民区)と呼ばれる南京城内の限られた区域での人口と思われる)
12月13日
南京在住の外国人で組織された安全区国際委員会は、安全区内の人口は20万人としている。
1938年1月14日
安全区国際委員会は、安全区内の人口は25万人としている。
6月
南京在住の外国人による調査(スマイス報告)で、南京陥落時点の南京城内の人口は20万から25万と報告される。
1937年8月15日の空襲以降、南京市の人口は日に日に減っており、人口の正確な把握はできていないものと思われます。
また、上記した推定人口が、南京市内なのか、南京市城区内なのか、南京城内なのかなども不明です。
推定では、日本軍が南京城への攻撃を始めた時点で、城内に20万以上の民間人と、南京を守る兵士数万人がいたものと思われます。
それにプラスして、南京城外(南京市城区内)にもそれなりの数の人がいたと思われます。
南京大虐殺の考察
南京大虐殺について、以下の7つの項目に分けて考えていきたいと思います。
1、放火
2、強姦
3、略奪行為
4、一般市民の殺害
5、捕虜に対する殺害
6、国際法の違反
7、死者数
放火
中国側の主張
日本軍による南京占領の間、日本兵による頻繁に放火があり南京市内の1/3が焼き払われた。
個人的見解
当時の南京城内は戦闘終結直後の混乱状態だったので、誰がやったかは分からないような放火は多少なりともあったかもしれませんが、それを認める証言や写真はほとんど見受けられません。
そもそも、戦闘終結後に占領・統治しなければならない場所を日本軍が放火する理由も見当たらないため、日本軍兵士における大規模な放火はなかったものと思われます。
ただし、南京攻略戦前の上海事変では日本軍による放火がかなり起こっているようなので、南京城までの進軍も合わせればそれなりの数の放火があったのかもしれません。(日本軍に物資を奪われることを懸念し中国軍(国民党軍)が放火した可能性もある)
強姦
中国側の主張
日本軍による南京占領の間、日本兵による強姦が頻繁にあり被害者の数は2万人から8万に及ぶ。
個人的見解
当時の日本軍の徴兵制度を考えれば素行不良の軍人も多少はいたでしょうから、強姦が一切なかったとは言えないと思います。
日中戦争時点の日本軍は規律がだいぶ乱れていたようで、南京攻略戦前の上海でも強姦事件が起きているので、南京でも兵士による強姦事件はあったものと思われます。
ただし当時の南京城内は、外国人宣教師の集団が中心となって安全区(別名:難民区)という非戦闘地域を前もって作り、一般市民の多くはそこへ逃げ込んでいました。(12月8日には南京城内の非戦闘員は全て安全区に移るように命令が出ている)
その安全区には日本軍も簡単には出入りできず、治安もそれなりに守られていたようなので、あちらこちらで頻繁に強姦が起こっているような状況ではなかったと思われます。(ただし南京陥落直後、安全区に逃げていなかった一部の住民に対する強姦が頻繁に起こったとの証言もある)
また、安全区を作った南京在住の外国人集団である安全区国際委員会は、日本軍兵士が南京城内に入城してきた12月13日から南京城内での犯罪の記録をとっており、1937年12月13日から1938年2月9日までにおける日本軍による犯罪件数は、
殺人:49件
傷害:44件
強姦:361件
連行:390件
略奪その他:170件
としています。
この犯罪件数は単純な報告件数で事実確認を伴わない誤報も含まれているとされていますが、逆に報告されていない犯罪もあると思われるため、私はそれなりに信用のある数字かと思います。
強姦に関して言えば、犯罪の性質から報告しないケースが多く、これ以上の数の犯罪があったと考えたほうがいいのかもしれません。
いずれにせよ、南京城内では南京陥落からおよそ2ヶ月で、少なくとも361件程度の日本軍兵士による強姦があったようです。(集団強姦の報告もあるので被害者数はこれより多い)
これにプラスして、南京城までの進軍時における南京城外での強姦もそれなりの数はあったと思われ、日本軍兵士による強姦被害者は述べ1000人規模に及ぶ可能性が考えられます。
ベトナム戦争後のベトナムでは、韓国軍の大規模な強姦により生まれた混血児(ライダイハン)が大勢生まれ社会問題化しました。
沖縄でも1949年時点で米兵との混血児(GIベビー)が450人も生まれ社会問題化しました。
しかし、南京では日本人と中国人の混血が大勢生まれたような話は聞きません。
日本人と中国人の混血が外見的に分かりづらいということもありますが、そのような話が一切でないということは、いずれにせよ2万人や8万人といった大規模な強姦はなかったなかったと考えるのが妥当かと思います。
略奪行為
中国側の主張
日本軍による南京占領の間、日本兵は略奪の限りを尽くした。
個人的見解
南京進軍時の日本軍は補給が完璧ではなく、食料を現地調達していた部分もあるので、南京城内にある食料庫の食物を調達するようなことあったはずです。
ただしこれは戦勝国の占領行為として認められる範囲かと思われます。
また、強姦の項目でも記載した通り一部素行の悪い兵士もいたでしょうから、金品の略奪も一切なかったとは言えないでしょう。
しかし上記で示した犯罪件数の表を見ても分かる通り、略奪の件数が異常に多かったということはなかったようです。
これら南京城内の略奪とは別に、南京城までの進軍時に食料の現地調達という名目で農村を襲撃し(農民の殺害も含む)、食料を強制的に略奪していたことは、日本軍兵士や中国人被害者双方の証言からも確認できます。
一般市民の殺害
中国側の主張
日本軍による南京占領の間、日本兵による一般市民の殺害が頻繁に発生した。
個人的見解
南京攻略後、南京の防衛に当たった国民党の敗残兵は、軍服を脱ぎ捨て一般市民に紛れ込む便衣兵というものになりました。
この便衣兵は兵士なのか一般市民なのかの見分けが難しいため、便衣兵を掃討する際に一般市民が犠牲になったことも多少はあったものと思われます。
また、はたから見ると便衣兵に対する攻撃が市民に対する攻撃に見えたということもあるかもしれません。
南京攻略後の12月14日から12月16日にかけて日本軍は、安全区内の掃討作戦を行い6670人の敗残兵を殺害したとの記録が残っています。
この敗残兵は便衣兵であり、これらの兵士に対する攻撃が一般市民への攻撃と見間違えられた可能性は大いにあると思います。
ただし、これら兵士に戦闘意志がないのであれば捕虜として扱わなければならないわけで、敗残兵の殺害自体が国際法違反である可能性もあります。
それ以外の一般市民に対する殺害は、上記の犯罪件数表で示した通り決して多くはなかったものと思われます。
捕虜の殺害
中国側の主張
日本軍による南京占領の間、日本兵士による中国軍捕虜の殺害が行われた。
個人的見解
これは間違いなくあったと言えます。
日本軍兵士の証言、南京市民の証言、日本軍の公式文書の記述、どれを照らしあわせても、日本軍が1万人を超える捕虜を殺していることは疑う余地はありません。(上記した敗残兵の殺害と重なっているものと思われる)
しかもその殺害はかなり組織的に行われており、少なくとも軍連隊長レベルの上層部の何人かが関与しているであろうことが伺え知れます。
捕虜の殺害理由は今となっては分かりません。
当時の日本軍は、食料が一部現地調達という不安定な形だったため慢性的な食糧難に喘いでおり、大量の捕虜に対する食料を用意することが困難だったのか?
あるいは多すぎる捕虜がその後の作戦や進軍に支障が出ると考えたのか?
いずれにせよ、日本軍は南京で発生した大量の捕虜をしっかり管理しようとした形跡がほとんど見受けられません。
これらの日本軍における捕虜の殺害は、国際法違反である可能性が極めて高いと思われます。
国際法の違反
中国側の主張
日本軍による中国兵捕虜の殺害は、明らかに国際法に違反した行為である。
個人的見解
通常、戦争における戦闘の終結とは、司令官が投降し休戦協定を結び、勝利者側により敗者側が武装解除され終結します。
しかし南京攻略戦の場合は、中国軍(国民党軍)の司令官が逃げてしまったため、中国軍の敗残兵は軍服を脱ぎ捨て市民の中に溶け込み便衣兵と呼ばれるものとなりました。
便衣兵はいつゲリラ組織になるか分からないため、日本軍による便衣兵の拉致・拘束、更に殺害までもが、戦闘終結前の出来事として国際法上問題がないと主張する人もいます。
この話は一理あるかと思います。
確かに、日本軍と中国軍との間に戦闘の終結手続きが行われていませんし、便衣兵がゲリラ化する恐れもあります。
便衣兵がゲリラ化すれば南京の市民に大きな被害が出ることは明白で、日本軍が捕らえて拘束することは特に問題のない行動でしょう。
しかし、拘束後の殺害はさすがに問題があると言わざるを得ません。
拘束して完全に武装解除が行われれば、敵兵士は捕虜として丁重に扱うべきはずですが、日本軍はこの捕虜の多くを殺害しています。
一部で拘束した捕虜の抵抗もあったようですが、証言によるとほとんどの捕虜は完全に武装解除され抵抗能力をなくした状態で殺害されており、この日本軍の行為は国際法を違反している可能性が極めて高いものと思われます。
また、日本軍と中国軍はお互い宣戦布告もしていないので、戦時における国際法など適用されないと主張する人もいます。
そのため、当時の日中間には捕虜という概念も存在しないというわけです。
しかし、だからといって拘束し武装解除した兵士を殺していいという話にはならず、やはり日本軍における中国敗残兵の殺害は問題があったと言わざるを得ません。
当時の日本軍の様子を調べると、中国軍の敗残兵を捕虜として扱おうとした形跡がほとんど見受けられません。
中国と戦争をしたら大規模な捕虜がでることは明確なのですが、当時の日本軍はこの捕虜に対する計画性がとても乏しいのです。(日本軍兵士の食料すら不足している点など)
更に言えば、日本は日中戦争そのものに計画性がほとんどなかったようにも感じられます。
死者の数
中国側の主張
通常戦争を含め南京にて30万人の人が日本兵によって殺害された。
個人的見解
最初に説明した通り、南京城への攻撃が始まった時点で南京城内の人口は20万人+αだったと思われます。
ですので、占領後の南京城内で30万人の市民を殺すことは不可能です。
また、万が一南京城内で30万人の人を殺害したというのなら遺体が山のようになっているはずですが、南京城内でそのような遺体の山があったという話は聞きません。(もちろんそれなりの数の遺体はあった)
そもそも南京大虐殺とは、一般的に日本軍の南京城占領から6週間後までのことを指すのですが、6週間で30万人殺害するとなると1日平均7000人以上の人を殺害しなければならず、その殺害数は南京攻略戦に参加した日本軍の能力を遥かに超えています。
以上のことから、日本兵が南京陥落後に南京城内で30万人の一般市民を殺害したという話は荒唐無稽と言わざるを得ません。
中国側もさすがにそのような主張はしておらず、中国側が示す30万人は通常戦闘における兵士の戦死者も含んだ数で、虐殺が起こった範囲や期間もかなり曖昧なものとなっています。(その点を考慮しても30万人はあり得ない数字ではある)
また、中国側が示す通り通常戦争における戦死者も含めるのなら、戦地逃亡を図る友軍の敗残兵を撃ち殺した中国軍(国民党軍)の督戦隊(友軍の兵士を監視する兵士)の存在も見逃すわけにはいきません。
南京城をめぐる戦闘では中国軍(国民党軍)が総崩れとなり敵前逃亡を図る兵士が続出、そのため督戦隊による友軍への銃撃が激しかったという話もあります。
そのような戦死者までも日本軍による大虐殺として計上することは、到底認めるわけにはいきません。
南京城内での日本軍兵士による虐殺といわれる行為は、敗残兵(便衣兵)及び捕虜の拘束・殺害以外には、確固たる証拠もほとんどないのが現状です。
当時の南京市は中華民国の首都であったため外国人記者もそれなりの数いたわけですが、東京裁判や中国側が主張するような大量の虐殺の実態を示すには、その証拠があまりにも少なすぎるのです。
日本軍占領後の南京城内での死者数は、南京安全区国際委員会の事務局メンバーのアメリカ人であり、南京の金陵大学社会学部教授であるルイス・S・C・スマイス博士の調査によると、1937年12月から1938年3月までで
南京城内で殺害をされた一般市民:推定2400人
南京城内で日本軍に拉致された一般市民:推定4200人
埋葬資料を調査した結果、南京城内で殺害された一般市民:推定12000人
南京特別行政区の農村地域で殺害された一般市民:推定26870人
となっています。
スマイス博士は上記の人数に兵士は含まれていないと主張していますが、中国軍の敗残兵は一般市民になりすまし便衣兵となっているので、それなりに兵士(便衣兵)の数が含まれているものと思います。
南京城外の農村地域は調査範囲がかなり広く正確性に欠ける部分が多分にあるかと思いますが、南京城外でも日本軍による殺害行為はそれなりの件数があったことがこの調査からは伺えしれます。(南京城外での殺害行為は、当時の日本軍兵士や現地住民の証言からも確認ができる)
このスマイス博士の調査は戦後の中国の思惑や捏造が含まれていないので、現在ある資料の中ではそれなり正確なものになるはずです。
またこの調査の他に、当時の日本軍は推定で捕虜・敗残兵の殺害を16000人、報告上でも12000人以上の殺害が確認されています。
南京城内での日本軍における不当な殺害人数は、日本軍が推定した捕虜・敗残兵の殺害16000人と、スマイス博士が死体の埋没調査で推定した12000人を足し28000人と見て取れますが、便衣兵の捉え方の相違によりこの大部分は重なっているものと思われます。
よって私は、通常戦闘以外の形で殺害された人が南京城内で16000人+αの2万人程度、南京城外の南京特別行政区内では2万人以上いるものと考えます。
まとめ
私が考えるに、南京大虐殺とは、
一般市民に紛れ込んだ便衣兵に対する攻撃・拉致・殺害
上記の便衣兵も含む捕虜の殺害
食料の現地調達による略奪、及びその行為を行うための農村の襲撃
一部素行の悪い兵士の強姦・金品強奪
これらの情報が重なりあってできあがったものだと思います。
中国側が主張する30万の虐殺や8万人の強姦を承服するわけにはいきませんが、南京大虐殺があったかなかったかと問われれば、それはあったと答えざるを得ません。
南京城陥落後まもなく多数の外国の新聞社は、南京城内で日本軍兵士が様々な問題行動を行っていると報じています。
このことを考えても、当時の南京城内で何もなかったとは到底思えません。
また、日中戦争で行った日本軍における数々の蛮行を考えれば、南京での作戦だけが平和裏に行われたと考えることは不自然であり、南京でもいくつかの戦争犯罪があったことは認めざるを得ない事実でしょう。
中国が主張する30万人の殺害や8万人の強姦は明らかな誇張であり到底認めることはできませんが、それと同じように、南京大虐殺がなかったという一部の日本人の論調にも私は同調することはできません。
ここで、南京攻略戦を指揮した松井石根陸軍大将の言葉を紹介します。
南京事件ではお恥しい限りです。
南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。
私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。
日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。
今度はそうはいかなかった。
政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。
引用:花山信勝『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』229ページ
松井大将のこの言葉は、当時の日本軍の規律が乱れて南京城内で日本軍における様々な問題行動があったことを認めていると思います。(日本軍は日露戦争や第一次世界大戦での捕虜の扱いについて国際的にとても高く評価されていた。)
現在の日本では、南京大虐殺がなかったという論調を見る期会が増えてきていますが、日本人は南京大虐殺(南京事件)について認めるべきところは認め、そして主張すべきところは主張する必要があるかと思います。
少なくとも私は、自分が想定した日本軍兵士に不当な形で殺害された4万人の南京の人々に対し、深い謝罪と反省の念を感じます。
そしてその深い謝罪と反省の念をもって、中国側の主張する30万人の虐殺や8万人の強姦に抗議したいと思います。
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虐殺が なしはさすがに 済まされず 過大告発 あると言えども