シリーズ日本の第二次世界大戦④ 沖縄戦と現在の沖縄

歴史
この記事は約6分で読めます。
<スポンサーリンク>

前回の真珠湾攻撃から話は一気に飛んで、今回は太平洋戦争における沖縄戦について書いていきます。
戦争における1つ1つの戦いの中身は、軍事専門家でもない限り深く掘り下げる問題ではないと思いますので、日中戦争・太平洋戦争の各戦いについて今回の『シリーズ日本の第二次世界大戦』で取り上げることはありません。(ちなみに南京事件については過去に取り上げました)

ただ、沖縄戦はその後の日本にも大きな影響を与えているため、取り上げなければならない問題です。
沖縄戦は、1945年3月26日から同年6月23日または7月2日まで行われた太平洋戦争最大の地上戦で、12万人以上の沖縄県民が犠牲になったと言われています。
これは当時の沖縄県民の4分の1に相当する人数で、現在の日本全体の比率で換算すると3000万人になるとてつもない人数の犠牲者数です。(当時の沖縄県民は疎開していたため人口は減っていた)

沖縄戦がこんなにも多くの犠牲者を生んだ理由は、非戦闘員である沖縄住民が犠牲になったからです。
では、なぜ沖縄住民の戦死者がここまで増えたのでしょうか?
その要因の1つになっているのが、沖縄戦におけるアメリカ軍の司令官であるサイモン・バックナーJr.中将から出された降伏勧告を日本軍側が受け入れなかったこと、また沖縄戦における日本陸軍の司令官・牛島満中将や参謀長・長勇少将などといった軍の上層部が自決してしまい戦闘の終結ができなかったことです。

通常、戦争における戦闘行為の停止は、戦闘に参加している軍の司令官同士が合意(一方の降伏を含む)し行われます。
しかし、沖縄戦を担当した日本陸軍第32軍で指揮を務める2人が同時に自決してしまい指揮系統が崩壊、そのため日本側の小規模な抵抗がいつまでも続き、被害を拡大させてしまいました。
更に、戦闘現場で指揮を行っていた第32軍所属の師団長なども、同時期に次々と自決や玉砕を行います。
以下、日本陸軍第32軍に所属していた軍上層部の主な戦死者や自決者です。

1945年6月21日、第5砲兵団司令官:和田孝助中将戦死
1945年6月22日、第62師団師団長:藤岡武雄中将自決
1945年6月22日、第62師団参謀長:上野貞臣大佐自決
1945年6月22日、歩兵第63旅団旅団長:中島徳太郎少将自決
1945年6月22日、歩兵第64旅団旅団長:有川主一少将自決
1945年6月22日、独立混成第44旅団旅団長:鈴木繁二少将玉砕の末戦死
1945年6月23日、第32軍司令官:牛島満中将自決
1945年6月23日、第32軍参謀長:長勇少将自決
1945年6月30日、第24師団師団長:雨宮巽中将自決
1945年6月30日、第24師団参謀長:木谷美雄大佐自決

この他に、沖縄戦における海軍側のトップだった沖縄方面根拠地隊司令官・大田實少将も1945年6月13日に自決し、日本陸軍第32軍で作戦を立案していた高級参謀の八原博通大佐は戦状報告のため戦線離脱と、沖縄戦における日本軍の指揮系統はことごとく崩壊していきました。
アメリカ軍はこの間、住民が逃げ込んだ地下壕を爆破または火炎放射器で攻撃するといった掃討作戦を行い、多くの沖縄住民が戦死していったのです。
アメリカ軍側からの降伏勧告が第32軍に届いたのが1945年6月17日で、沖縄戦の戦死者が1945年の6月後半に多くなっている事実から考えても、戦闘を正しく終結できなかったことが被害者を増やした大きな要因になっていることは間違いありません。

また、アメリカ軍が沖縄作戦終了を宣告した1945年7月2日以降も、沖縄では1万人以上の戦死者を数えています。
これは、敵国の捕虜になることを過度に否定する日本軍の洗脳的な教育による投降拒否や、アメリカ兵による戦争犯罪的な虐殺などが要因と思われます。
沖縄戦の戦死者については、集団自決の影響があると思っている人も多いかもしれませんが、沖縄戦における民間人の戦死者9.4万人のうち、集団自決で亡くなったのは1000人ほどで、ほとんどの沖縄住民はアメリカ兵により殺されているのが実態です。
このように当時の沖縄は悲惨そのもので、離島や集落の中には生き残った人がほとんどいない場所すらあります。

その後の沖縄は、アメリカにより占領され1972年に返還されるのですが、今でも沖縄には多数の米軍基地があり、日本の1%の面積に満たない沖縄県に74%の面積を占める在日米軍の基地(米軍専用基地)がある歪な状態が続いています。
そして、基地があれば兵士もいるということで、沖縄では在日米軍関係者による犯罪などの問題も生じます。
日本では、戦後の混乱期を除いた1952年から2016年までに、防衛省が把握しているだけで1092人の日本人が在日米軍関係者によって殺されました。(死者の多くは交通事故)

死者を伴わない全ての犯罪件数になると凄まじい数になるのですが、特に注目すべきは強姦事件です。
沖縄では、1995年に米軍兵士による女子小学生への拉致・強姦事件が起こり、全国的にも大きな話題となったことは皆さんの記憶にも残っていることでしょう。
しかし在日米軍関係者による強姦被害者の最低年齢はもっともっと低く、生後9ヶ月の女児に対する強姦殺人事件も確認されていますし、10歳に満たない女子に対する強姦事件も複数件報告されています。
戦後の混乱期ということで詳しいデータは少ないですが、1949年の時点で沖縄には混血児が450人も生まれていたそうで、人間の妊娠率を考えると当時の沖縄では米兵による強姦事件が日常的に行われていたものと想定されています。

しかもこれらの犯罪を犯した在日米軍関係者は、日米地位協定の影響で日本の法でほとんど裁かれていません。
在日米軍兵士(軍属も含む)の犯罪は米軍が独自に処分を下すわけですが、その処分は不当に軽くなることが多くなっています。
具体的に米軍は、25歳の女性を強姦しナイフで刺すなどした沖縄在日米軍兵士に、給料2ヶ月分の罰金と降格という軽い処分しかなかったことも判明していますし、2005年から2013年に性的犯罪を犯した在日米軍兵士244人の内2/3近くは、降格や除隊や罰金などの軽い処分しか受けていません。
近年、在日米軍関係者による強姦事件は減少傾向にあり、沖縄県内での強姦事件は日本返還の1972年から2013年までで129件の発生となっていますが、強姦という事件性を考えると実際の被害数はもっと多いと予想されます。
以上のように、沖縄は太平洋戦争の戦中も戦後も日本国内で圧倒的に大きな負担を受けています。

にもかかわらず、最近の日本人は沖縄の人々に対し冷たすぎませんか?

2017年1月6日に東京MXで放送された『ニュース女子』では、沖縄県の普天間基地移設反対運動を行う人々を不当に扱い、放送倫理・番組向上機構(BPO)から重大な放送倫理違反と認定されました。(重大な放送倫理違反は3例目)
このように、近年、沖縄県の人々に対し県外の人たちが非常に批判的になっている様子が伺えます。

しかもこのような主張や行動をしているのは、日本の保守を名乗る人たちなのです。
以前にも書いていますが、他国の軍事基地が日本国内にあるという問題は、本来、保守こそが声を上げるべき問題なのに、こともあろうか現在の日本の保守層は真逆の行動を行っています。
米軍基地の問題について沖縄県側の行動に全く問題がないとは言いませんが、先の戦争で犠牲を払った先人たち、更には現在も犠牲を払っている人たちに対してはそれ相当の配慮があってしかるべきで、このような人たちを攻撃対象にする組織など保守を名乗る資格はありません。

以上、現在の日本人は、戦中から現在に至るまでの沖縄の負担について、もう1度深く考える必要があるかと思います。

【関連記事】
シリーズ日本の第二次世界大戦① 満州事変と軍の暴走
シリーズ日本の第二次世界大戦② アメリカの参戦とハル・ノート
シリーズ日本の第二次世界大戦③ 真珠湾攻撃と当時のハワイ
シリーズ日本の第二次世界大戦④ 沖縄戦と現在の沖縄
シリーズ日本の第二次世界大戦⑤ 原爆投下と無条件降伏
シリーズ日本の第二次世界大戦⑥ ソ連参戦と北方領土問題
シリーズ日本の第二次世界大戦⑦ 東京裁判と日本の戦争犯罪人

<スポンサーリンク>
ブログランキング

↑ ↑ ↑
更新励みになりますので、毎日の応援よろしくお願いします。

コメント

Translate »