台湾の歴史と台湾原住民

歴史・文化
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日本人は台湾及び台湾人のことが好きで、台湾人も日本及び日本人のことが好きなようです。
日本の周辺国で日本を嫌っていない国は台湾だけと言ってもよく(台湾が国であるかの議論は置くとして)、台湾系の海外の反応サイトは他の東アジア国(中国、韓国)とは全く違った反応が返ってきます。
そこで、1度台湾の歴史についておさらいしておこうと思います。

台湾には、人数が多い順に、
本省人
外省人
原住民
と呼ばれる、外国人には瞬時に理解できない区分けがあります。

この区分けについて簡単に説明すると、本省人とは、戦前(第二次世界大戦前)から台湾にいる中国系移民とその子孫で、有名人ではジュディ・オングさんが本省人です。
外省人は戦後に台湾へと渡ってきた中国系移民とその子孫で、有名人ではテレサ・テンさんや欧陽菲菲さんが外省人となります。
原住民は中国大陸からの移民ではない元々台湾に住んでいた数々の少数民族で、有名人ではビビアン・スーさんが半分タイヤル族という民族の血が入っています。

台湾は、元々東南アジア系に近い幾つかの先住民族が独自の文化の中で暮らしていましたが、大航海時代の17世紀にオランダの支配を受けます。
オランダの支配は40年ほどで終わりますが、このころから中国系(主に漢民族)の移民が始まりました。
そして、中国大陸が清王朝の時代(満州民族支配の時代)にも移民が進み、漢民族の人口が増え始めます。
このような時代に移民してきた人が、現在の本省人へと繋がっていきます。
その後、清に戦争で勝った日本が台湾を支配することとなりましたが、日本は太平洋戦争で敗れ台湾の権益を失いました。
台湾の権益は、第二次世界大戦中から共産党勢力と戦っていた国民党へと移るのですが、国民党は中国大陸で共産党に破れ、支配地域は台湾だけとなってしまいました。
そのため、国民党の支援者たちは続々と台湾へと逃げ延びたのですが、このときに台湾に渡ってきた人たちが外省人と呼ばれる人たちになるわけです。
このような歴史を経て、台湾は現在へと至ります。

現在の台湾は、本省人85%、外省人13%、原住民1.3%と、原住民は極めて少数派となっていますが、日本が統治した時代には原住民の比率もまだ多く、統治する際にかなり手を焼いたそうです。
台湾の原住民の中には20世紀に入ってからも首狩りの儀式をする集団がいるなど、極めて原始的な生活をしていました。
そのため様々な意識の差があり、統治は容易でなかったようです

この台湾の原住民は、日本、中国、韓国・北朝鮮などの東アジア系というより東南アジア系の人種に近く、もう少し正確に言えばニューギニアや太平洋の海上国に住んでいるポリネシア系に近い人種となります。
そもそもポリネシア系の人々は台湾から海を渡って広がり、果てはイースター島まで広がっていったという説が有力なのです。
ポリネシアに通じる人の流れは、マレーシア半島からの流れと台湾からの流れがあり、それがニューギニア島で混ざりあって広がっていったようですが、台湾から流れていった人のほうが強い影響があるそうです。
そのため、観光地として有名なハワイやタヒチ、ラグビーが強いことで有名なサモアなどの原住民族と台湾の原住民は遺伝子が近いとういう結果が出ています。
また、ニュージランドもオーストラリアからではなく、台湾から続く人の流れの延長にある国家とされています。
このような海上移動をしてポリネシアと渡った人たちはラピタ人とも呼ばれ、船で長距離を移動するという卓越した航海術や独自の文化を持っていたことでも知られます。

私たち日本人は、台湾をなんとなく中国と同じような文化を持つ地域だと思っていますが、実際に中国の影響を受けたのはかなり最近のことで、元々は他の東アジア人とはかなり離れた人種の人が暮らしていた場所でした。
以上のように、もし台湾に漢民族が流入していなければ、かなり独自の文化をもった国として発展していたのかもしれません。

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