アイドル全盛時代の中でヒットを連発した渡辺美里について

芸能の話
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今日は1980年代後半から1990年代前半にかけてヒット曲を連発した女性歌手・渡辺美里のことを語りますよ。\(^o^)/

渡辺美里のデビューは1985年5月2日で77年早生まれの人間は当時8歳ですから、おそらく自分たちより5歳や10歳上の世代がもっともハマった世代と思われ、渡辺美里自身の生年月日は1966年7月12日と77年早生まれより10学年上です。
そのため77年早生まれの人間にとって渡辺美里はドンピシャな世代とは言えませんが、当然、渡辺美里の存在は知っていましたし知っている曲も多数あります。
初のヒット曲であり『My Revolution(発売:1986年1月21日)』は当然として、その他にも

『BELIEVE』(発売:1986年10月22日)
『悲しいね』(発売:1987年12月9日)
『恋したっていいじゃない』(発売:1988年4月21日)
『センチメンタル カンガルー』(発売:1988年7月21日)
『10 years』(発売:1988年10月21日)
『虹をみたかい』(発売:1989年10月21日)
『サマータイム ブルース』(発売:1990年5月12日)
『卒業』(発売:1991年4月18日)
『夏が来た!』(発売:1991年6月21日)

など、渡辺美里にはヒット曲は多数あります。

神

わしは『夏が来た!』が好きじゃぞ。

77
77

なんだかんだ言って『My Revolution』が1番!!

ただ、他にもヒット曲が多数ある女性の歌手はおり、1990年代に最盛となるガールズポップと呼ばれる人の中には

ZARD
大黒摩季

などといったミリオンセールスを連発したような女性歌手も存在していました。
むしろこちらのほうが77年早生まれの人間にはドンピシャの世代と言えるでしょう。

一方、渡辺美里がヒット曲を連発したのは1980年代後半という完全にアイドルの時代、アイドル全盛の時代でした。
同期の女性歌手と言えば、斉藤由貴、中山美穂、浅香唯、南野陽子、森口博子、おニャン子クラブなどなど。
あの尾崎豊ですらアイドル的な売り出し方をされようとしていたような“イカレタ時代”に、あの(可愛らしい)ルックスでアイドルにならず、これだけヒット曲を量産したソロ女性歌手は、(アイドル以外)唯一と言っても過言ではありません。
このように渡辺美里は日本歌謡界の歴史的にも極めて特異な存在で、1つのキーポイントにもなったわけです。
そして今になって渡辺美里の歌を聴くと、当時の自分が聴いていたアイドルの音楽とはまるで迫力が違い(当然の話だが)、音楽から感じるパワーが段違いなのです。

渡辺美里が流行していた時代の自分は主に小学生だったわけですが、もう少し早く生まれて渡辺美里と青春を分かち合うのも、楽しい人生だったかなと思う今日この頃です。(;^_^A

ファイティングコンピューター
ファイティングコンピューター

コーホー

↑『“My Revolution”を作曲した小室哲哉が芸能界を“卒業”してしまって“悲しいね”』と言っています。(;^_^A

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