1980年代はアイドルブームが全盛期でした。
そんなアイドルブーム全盛期の中、女性アイドルNO.1の座を激しく争ったのが松田聖子と中森明菜の間です。(争ったのは本人ではなくファンのほうだが)
しかし77年早生まれ的に、この争いの勝者は中森明菜の一択であると声を大にして言いたいと思います。
わしは松田聖子のほうが好きだったぞ
薬師丸ひろ子や中山美穂の人気も凄かったね
松田聖子がデビューし大ブレークしたのは1980年4月以降のことですが、このとき77年早生まれの人間は3歳なので当時の記憶は全くと言っていいほどありません。
中森明菜は1982年5月にデビューし、2曲目の『少女A』以降ヒットを飛ばすようになりました。
この頃の記憶は77年早生まれの人間も曖昧ながら残ってことでしょう。
その後、この2人はNo.1女性アイドルの名を懸けて激しく争ったことは周知の事実です。
そんな2人に転機が訪れたのは1985年。
この年の1月に松田聖子と当時交際していた郷ひろみが別れたという報道があり会見も行ったのですが、なんとその報道の3か月後に松田聖子は神田正輝と婚約したのです。
このことは毎日のようにワイドショーで取り上げられていたので、当時8歳だった自分もよく覚えています。
一方、中森明菜は同じ年の年末にレコード大賞を受賞し全盛期を迎えました。
つまり、77年早生まれの人間にとっては松田聖子がデビューし大ブレークした当時の記憶はほとんどなく、むしろワイドショーを騒がすお騒がせタレントという一面のほうがより鮮明に頭に残っており、1985年、1986年にレコード大賞の連続受賞した中森明菜の記憶は、当然、全盛期の記憶がよく残ります。
以上のことから、1977年早生まれ近辺に生まれた人は、80年代アイドルNo.1のついて中森明菜のほうに軍配を上げる傾向が極めて強くなるのです。
その後、中森明菜は1988年7月に自殺未遂をしますが、このとき77年早生まれの人間は小学6年生でなんとなく大人の事情も分かってきている頃なので、同情的な感情で報道を見ていました。
これがもっと上の世代なら松田聖子の全盛期を記憶しているので、松田聖子をNo.1アイドルと捉える人が当然増えます。
そして、少し下の世代は中森明菜の全盛期の記憶が曖昧で、自殺騒動といったネガティブな報道の記憶がより鮮明になるので、中森明菜にあまり良いイメージを抱かない傾向にあります。
ですので、松田聖子より中森明菜のほうがハッキリと上と感じる世代は、自分たちプラスマイナス1年ぐらいの世代しかいないと思われ、本当に微妙な年代の差が松田聖子と中森明菜という当時の人気No.1アイドルの争いに影響を与えているのです。
コーホー
↑『自分は“うしろさされ組”が好きだった』と言っています。(;^_^A
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