最近、Adoさんを中心としたボカロPの音楽にハマっている私ですが、その流れで多少ボーカロイドの楽曲を聴く機会も増えました。
ボーカロイドという音楽があることは昔から知ってはいましたが、積極的に聴こうと思ったことは今まで1度もありませんでした。
あの機械みたいな奇怪な声の楽曲を聴きたいとは、どうしても思えなかったのです。
おそらく、私と同じような理由でボーカロイドの曲を聴かない人も多いことでしょう。
それでもボーカロイドは大きな産業になり、現在はボカロPと呼ばれるボーカロイド曲を発表してきた音楽家たちが一般層でも大きな人気を得ています。
そして、なぜボカロPの音楽がここまで支持されたのか考えたとき、あの一般層になかなか受け入れられなかった機械的な声にこそ秘密があるように思えます。
ボーカロイドファンには失礼ですが、歌唱力という点から考えればボーカロイドはどう足掻いても人間と勝負になりません。
歌は音程を合わせるだけではなく感情などを込めて歌うものであり、ボーカロイドがこの感情の部分で大きく劣っていることはボカロPですら否定できないと思います。
その分をボカロPが何で勝負したかというと、楽曲の内容(作詞・作曲・編曲など)で勝負したのです。
逆に言うと、それ以外で勝負できるポイントがボーカロイド曲にはあまりにも少なかったと言えます。
しかしこの活動がボカロPたちの音楽レベルを向上させ、そういった世界でしのぎを削ってきたボカロPたちは楽曲を作る能力が極めて高くなるのはある意味必然です。
そしてそのボカロPが歌唱力の高い人間とタッグを組んだとき、とてつもないパワーが生み出されるのです。
以前に書いた、今まであまり音楽に扱われなかった陰キャ気質のボカロP楽曲が、今までの音楽とは違った層で強い共感を生み、新たな音楽の消費者層を開拓した可能性も高いと思います。
そして、そこからは既存の音楽界なら発掘されることはなかったであろう眠っていた才能が次々と誕生していきました。
顔出ししない歌手などは正にその象徴で、今までだと歌手のビジュアル面も含めて音楽の評価を下す傾向がありましたが、顔出ししていなければ楽曲で評価を下すしかありません。
それもこれも、ボカロPが人間の歌手を廃して楽曲内容だけで純粋に勝負してきた結果なのだと思われます。
こういった部分まで考えると、今まで毛嫌いしていた人もボーカロイドの曲に多少興味が湧いてきたのではないでしょうか?
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