日本で起こったクーデター・革命・内乱などの政権転覆一覧

歴史
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日本の歴史で起こったクーデター(謀反)、革命、内乱などによって政権交代した例をまとめました。

そもそもクーデター、革命、内乱の違いとは?

クーデター(仏: coup d'État)は、一般に暴力的な手段の行使によって引き起こされる政変を言う。

出典 クーデター – Wikipedia

クーデターは、権力の掌握を目的とする反乱のことを言います。
ほとんどのクーデターは権力者同士で行われ、一般市民が関わることはありません。
※謀反はクーデーターとほど同意である。

革命(かくめい、英語: Revolution、レボリューション)とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革あるいは技術革新などが、比較的に短期間に行われること。

出典 革命 – Wikipedia

革命は、社会構造の改革を目的として起こす反乱のことを言います。
革命の場合は支配階級と非支配階級の間で争われることほとんどで、一般市民が革命活動に参加することもあります。

内乱とは、国内における政府転覆を目的とした反政府勢力と政府勢力による武力闘争。

権力者の突然の死亡により起こる後継者争いなど、クーデターや革命に属さない内乱もあります。

日本の歴史で実際に起こったクーデター、革命、内乱の例

乙巳の変

分類:クーデター
年数:645年
政変前の政権:皇族と蘇我氏中心の政治体制
政変後の政権:皇族と藤原氏中心の政治体制

天皇家に対抗するほどの圧倒的な権力を握っていた蘇我氏の長・蘇我入鹿を、中大兄皇子と中臣鎌足が競合して殺害。
その他の蘇我氏も粛清され、大化の改新と呼ばれる政治改革が起こった。
蘇我入鹿殺害の主導者である中大兄皇子は後に天皇に、中臣鎌足は藤原鎌足と名を変え藤原氏の始祖となり、藤原氏はその後も権力の中枢にあり続けた。

藤原氏による摂関独占

分類:クーデター(内部工作)
年数:866年
政変前の政権:皇族による摂政・関白
政変後の政権:藤原氏による摂政・関白の独占

承和の変と応天門の変でライバルたちを失職させた藤原良房は、自分の娘を天皇家に嫁がせることで権力を握り、皇族以外で初となる摂政に就任。
以後、1000年近く藤原家が摂政・関白を独占し続けた。(摂関政治の始まり)

平将門の乱

分類:内乱(独立国家の設立)
年代:939年~940年
政変前の政権:朝廷による支配
政変後の政権:平将門による関東支配

関東全域の手中に収めた平将門は、突然、新皇を名乗り朝廷の支配によらない独立国家設立を宣言。
しかし、翌年には朝廷が派遣した軍により滅亡させられてしまう。

奥州藤原氏の成立

分類:内乱(独立国家の設立)
年数:1087年~1189
政変前の政権:朝廷による支配
政変後の政権:奥州藤原氏による東北支配

後三年の役で勝利した藤原清衡及び奥州藤原氏は、朝廷の支配が及ばない半独立国家のような形で、しばらくのあいだ東北地方一体を支配した。
後に鎌倉幕府を開いた源頼朝により滅ぼされることとなる。

保元の乱・平治の乱

分類:内乱に乗じたクーデター
年数:1156年~1160年
政変前の政権:朝廷による政治
政変後の政権:武士(平家)による政治

朝廷の混乱に乗じて武士である平清盛が権力を掌握。
鎌倉幕府を作った源頼朝に先んじて武士政権を作ることとなった。

治承・寿永の乱

分類:内乱
年数:1180年~1185年
政変前の政権:平家政権
政変後の政権:源氏政権(鎌倉幕府)

平清盛を中心とした平家政権に対する反乱が各地で起こり、最終的に源頼朝率いる源氏が勝利。
本格的な武家政権である鎌倉幕府を起こすこととなる。

源実朝の暗殺

分類:クーデター
年数:1219年
政変前の政権:源氏政権
政変後の政権:北条政権

源頼朝の死後、後継者問題で混乱が続いていた鎌倉幕府だったが、頼朝の妻となった北条政子を輩出した北条氏が次第に権力を掌握。
政子の父・北条時政は、2代将軍・源頼家を幽閉し幼少の源実朝を即位させ権力を手中に収めたほか、梶原景時の変や比企能員の変でライバルたちを粛清。
時政の子である北条義時は、3代将軍・源実朝をも殺害し、完全に執権である北条氏が権力を掌握することとなる。

元弘の乱

分類:革命※
年数:1331年~1333年
政変前の政権:鎌倉幕府(北条政権)
政変後の政権:建武の新政(後醍醐政権)

勢力を増す北条氏を中心とした鎌倉幕府に対し後醍醐天皇率いる勢力が反乱を起こし、鎌倉幕府を滅ぼす。
このことにより、短い期間だが天皇家による政治が復活した。

※本来は天皇が日本の最高権力者であるため、革命という表現は正しくないかもしれない。

延元の乱

分類:クーデター
年数:1335年~1336年
政変前の政権:建武の新政(後醍醐政権)
政変後の政権:室町幕府(足利政権)

後醍醐天皇が起こした建武の新政に対し、その重責者であった足利尊氏が反旗を翻し権力を掌握。
源頼朝が起こした鎌倉幕府に続き、武家政権の室町幕府を起こすことになる。

明応の政変

分類:クーデター
年数:1493年
政変前の政権:足利政権
政変後の政権:細川政権

畠山家の家督相続の混乱で手薄となった将軍家に対し、細川晴元らがクーデターを起こし10代将軍・足利義稙を幽閉。
11代将軍として13歳の足利義澄を擁し、権力を細川晴元が掌握。
晴元は後に暗殺されるが、将軍家の権威は失墜し細川家による権力の掌握はしばらく続いた。

江口の戦い

分類:内乱乗じたクーデター
年数:1549年
政変前の政権:細川政権
政変後の政権:三好政権

三好家内の権力争いの際、分家側に付いた細川家を三好家宗家の三好長慶が打ち破り、細川家と将軍家(足利家)を権力から引きずり下ろすことに成功する。

信長の上洛・将軍の追放

分類:内乱
年数:1568年~1573年
政変前の政権:三好政権及び室町幕府(足利政権)
政変後の政権:織田政権

将軍家の権威が失墜して以降、日本中が群雄割拠状態となっていた中で頭角を現した織田信長は、将軍家の足利義昭を率い上洛。
将軍家に変わって権力を得ていた三好家は、続々と投降や降伏し事実上信長が権力を握ることとなる。
更に自らが擁立した15代将軍・足利義昭も追放し、室町幕府をも滅亡させる。

本能寺の変

分類:クーデター
年数:1582年
政変前の政権:織田政権
政変後の政権:明智政権

権力を掌握し残存勢力の討伐にあたっていた織田信長に対し、家臣の明智光秀が突然謀反を起こす。
信長を倒し天下人となった光秀だったが、あっという間(13日)で羽柴秀吉に討ち取られれてしまう。

清洲会議

分類:クーデター(後継者争い)
年数:1582年
政変前の政権:織田家による権力支配
政変後の政権:羽柴秀吉が最高権力者

本能寺の変で討ち取られた織田信長の家督問題を決めるための会議は、信長の次男と三男を差し置き当時2歳程度だった信長の孫・三法師(織田秀信)が家督を次ぐこととなり織田家の権力は大幅に失墜することとなる。
当時の織田家筆頭家臣は柴田勝家だったが、会議では謀反人である明智光秀を倒した羽柴秀吉(豊臣秀吉)の発言力が増し、秀吉が筆頭家臣の立場となって実質的な最高権力者となった。
翌年、秀吉は勝家を討ち取り名実ともに天下人になる。

関が原の合戦

分類:内乱(後継者争い)
年数:1600年
政変前の政権:豊臣政権
政変後の政権:徳川政権(江戸幕府)

豊臣秀吉の死後、次第に権力を拡大していた徳川家康と、豊臣家による政権維持と自身の保身のために挙兵した石田三成が衝突、天下を二分する大規模な戦争となった。
その戦いに勝利した家康は豊臣家に変わり権力を握り、更に大阪冬の陣、大阪夏の陣で豊臣家を完全に滅ぼし天下統一を果たす。
ここに長年続いた戦国時代は終結し、家康は幕府(江戸幕府)を開くこととなる。

明治維新

分類:革命
年数:1868年~
政変前の政権:江戸幕府(徳川政権及び武家政権)
政変後の政権:明治政府(天皇を後ろ盾とした薩長同盟による政権)

圧力を増した諸外国の対応に対する幕府への不満や、尊王攘夷論の盛り上がりなどにより、薩摩藩と長州藩が江戸幕府を倒すべく立ち上がり戦争(戊辰戦争)を起こす。
薩摩と長州の同盟は、天皇を後ろ盾にすることに成功し倒幕を成し遂げ、数百年続いた武士による政権を終了させることに成功。
以降、かつての日本では経験がないほどの国家体制の大改革が行われる。

二・二六事件

分類:クーデター(未遂)
年数:1936年
政変前の政権:政治家による国家運営
政変後の政権:天皇による直接政治(未遂)

陸軍の将校が、政府の高官や元老重臣を倒すことで天皇による直接政治を目指し軍事クーデターを起こすが、事件を主導した将校の年齢が若く、立場もそこまで高くなかったため大きな動きにならず失敗に終わる。

太平洋戦争の終結

分類:外部要因による革命※
年数:1945年
政変前の政権:天皇を中心とした国家体制
政変後の政権:選挙によって選ばれた国会議員中心の政府

太平洋戦争に敗れた大日本帝国は、占領軍であるGHQにより国家体制の大幅な見直しを迫られることとなる。
戦前の国体や軍国主義は廃止され、戦後の日本では戦争廃止を謳った平和憲法と民主主義による国民主権が強調された社会構造が形成される。

※これは革命やクーデーターなどの内部闘争ではなく、外国との戦争で起こった政治的改革です。

羽田派の造反

分類:政治的なクーデター
年数:1993年
政変前の政権:自民党
政変後の政権:野党連合

野党が提出した内閣不信任案に自民党の羽田派が賛成にまわり新党を結成、後の選挙で自民党は過半数を割り、1955年から38年続いた自民党政権を終了させた。
この騒動を主導した小沢一郎は、以降20年ほど政権交代のキーパーソンであり続けた。

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