アイドルの始まり! 70年代アイドル(女性)の一覧と現在の様子

芸能
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日本のアイドル文化が始まったと言われている1970年代の女性アイドルを年代別に一覧としてまとめました。
また、当時に人気の様子や代表的なヒット曲および受賞歴、更に現在の活動なども分かりやすくまとめています。

第1章:アイドル創生 岡崎友紀の登場

日本に『アイドル』という言葉が広く定着したのは、1964年にシルヴィ・バルタンが主演した映画『アイドルを探せ』及びその主題歌(曲名もアイドルを探せ)の流行からと言われています。
その後しばらくアイドルは外国人タレントに使われる言葉だったようですが、1970年、ある1人の女性の登場により日本人に対してもアイドルという言葉が使われるようになりました・・・

岡崎友紀

元祖アイドル『岡崎友紀』
岡崎友紀プロフィール生年月日1953年7月31日芸能界入り子役出身キャッチフレーズ-レコードデビュー1970年3月5日(しあわせの涙)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-ゴールデン...
生年月日1953年7月31日
芸能界入り子役出身
キャッチフレーズ
レコードデビュー1970年3月5日(しあわせの涙)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲80年:ドゥー・ユー・リメンバー・ミー

【岡崎友紀の70年代当時の活躍】
『おくさまは18歳』から続くテレビドラマシリーズンに立て続け主演し、アイドル的な人気を博すことになる。
特にブロマイドの売り上げ枚数は凄まじく、ブロマイド販売大手のマルベル堂調べでは、現在に至るまでの歴代1位の販売枚数を記録している。

【その後の活躍】
1978年にソニー創業者の1人である盛田昭夫氏の長男と結婚(後に離婚)、その後は主に舞台などで活躍した。

【岡崎友紀の現在】
芸能活動は抑えつつも、かつてのファンなどとの交流会を度々開いている。

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http://ameblo.jp/yukiokazaki/

第2章:70年~71年デビュー組

岡崎友紀の登場以降、日本人に対しても少しずつアイドルという言葉が使われ始めましたが、当初はまだ現在のアイドル像とは少し違い、主にドラマや映画で人気に出た若い人たちをアイドルと呼んでいました。

吉沢京子

もう1人の元祖アイドル『吉沢京子』
吉沢京子プロフィール生年月日1954年3月2日芸能界入り子役出身キャッチフレーズ-レコードデビュー1970年3月10日(幸せってなに?)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-ゴールデ...
生年月日1954年3月2日
芸能界入り劇団ひまわり出身
キャッチフレーズ
レコードデビュー1970年3月10日(幸せってなに?)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲- ※

※吉沢京子の人気が出た当時は、まだアイドル歌手やアイドル歌謡が誕生していなかった。

【吉沢京子の70年代当時の活躍】
1969年放送の『柔道一直線』でヒロインを演じた他、70年代以降も多くの映画やドラマに出演し人気を博した。

【その後の活躍】
80年代以降も女優として活躍した他、日本舞踊家としても活動。

【吉沢京子の現在】
現在も女優として活動中の他、着物プロデューサーなどとして活動することもある。

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http://ameblo.jp/yoshizawakyoko/

アン・ルイス

アイドル歌手からロック歌手への華麗な転身『アン・ルイス』
アン・ルイスのプロフィール生年月日1956年6月5日芸能界入り子役出身キャッチフレーズ-レコードデビュー1971年2月25日(白い週末)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-ゴールデ...
生年月日1956年6月5日
芸能界入り子役出身
キャッチフレーズ
レコードデビュー1971年2月25日(白い週末)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲74年:グッド・バイ・マイ・ラブ(14位)
80年:リンダ(33位)
82年:ラ・セゾン(3位)
84年:六本木心中(12位)
86年:あゝ無情(21位)
89年:WOMAN (31位)

【アン・ルイスの70年代当時の活躍】
1974年に発売した『グッド・バイ・マイ・ラブ』がヒットしアイドル歌手として活動した他、キャンディーズの『やさしい悪魔』ステージ衣装をデザインするなど多彩な活躍をしていた。
※レコードデビューは1971年だが、アイドルとして人気が出たのは1974年の『グッド・バイ・マイ・ラブ』発売以降である。

【その後の活躍】
80年代以降はロック歌手に転身し(70年代末期からその兆候はあった)、アイドル時代以上に成功するも、パニック障害を患い1999年に芸能活動を休止した。

【アン・ルイスの現在】
一時芸能活動を再開したこともあったが、2013年の元夫(桑名正博)と息子との共同アルバム発売を最後に芸能界からの完全引退が発表された。

第3章:新三人娘誕生! 天地真理が国民的アイドルに!!

1971年にレコードデビューした小柳ルミ子、南沙織、天地真理の3人は人気を博し、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの『三人娘』(じゃんけん三人娘)、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの『スパーク三人娘』に続き、『新三人娘』と呼ばれました。
特に天地真理の人気は凄まじく、国民的なアイドルにまで昇りつめていきます。
この天地真理の人気により、『女性アイドル=若くて可愛い子が歌を歌う』という現在まで続く日本独自のアイドル象が確立することになりました。

小柳ルミ子

デビュー曲がオリコンチャート年間1位の『小柳ルミ子』
小柳ルミ子プロフィール生年月日1952年7月2日芸能界入り宝塚歌劇団出身(2ヶ月しか在籍してない)キャッチフレーズみんなの恋人レコードデビュー1971年4月25日(わたしの城下町)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1971年レコード大賞最優秀
生年月日1952年7月2日
芸能界入り宝塚歌劇団出身(2ヶ月しか在籍してないが)
キャッチフレーズみんなの恋人
レコードデビュー1971年4月25日(わたしの城下町)
主な音楽賞受賞歴1971年日本レコード大賞最優秀新人賞(わたしの城下町)
1971年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(わたしの城下町)
1972年日本歌謡大賞(瀬戸の花嫁)
紅白出場回数18回(内9回が70年代)
オリコン1位楽曲数4曲
代表曲71年:わたしの城下町(1位)
72年:瀬戸の花嫁(1位)
72年:京のにわか雨(1位)
77年:星の砂(2位)
83年:お久しぶりね(8位)

【小柳ルミ子の70年代当時の活躍】
デビュー曲である『わたしの城下町』は1971年オリコン”年間”ランキング1位を獲得、翌1972年には『瀬戸の花嫁』がオリコン”年間”ランキングで2位を獲得と、華々しいデビューを飾ることとなる。
しかし、当時はアイドル歌手のイメージがまだ確立していなかったので、アイドルというよりは歌謡曲を歌う歌手というイメージに近かったかもしれません。

【その後の活躍】
80年代に入ってからは女優やタレントとしても成功、更に1983年にはシングル曲の『お久しぶりね』が文字通り久しぶりにヒットする。
1989年には13歳年下のダンサー大澄賢也と結婚し(後に離婚)、派手と衣装とダンスでステージをこなすことが話題となった。

【小柳ルミ子の現在】
現在も芸能活動をしており、歌番組やバラエティ番組で目にすることも多い。
またサッカーにハマり、卓越した知識を持つことでも知られる。

本人のブログ
http://ameblo.jp/rumiko-koyanagi/

南沙織

沖縄から来た少女『南沙織』
南沙織プロフィール生年月日1954年7月2日芸能界入り琉球放送でのアルバイトが目に付きスカウトキャッチフレーズソニーのシンシアレコードデビュー1971年6月1日(17才)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1971年日本歌謡大賞放送音楽新人賞1
生年月日1954年7月2日
芸能界入り琉球放送でのアルバイトからスカウト
キャッチフレーズソニーのシンシア
レコードデビュー1971年6月1日(17才)
主な音楽賞受賞歴1971年日本レコード大賞新人賞(17才)
1971年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(17才)
紅白出場回数8回(内7回が70年代)
オリコン1位楽曲数
代表曲71年:17才(2位)
75年:人恋くて(8位)

【南沙織の70年代当時の活躍】
デビュー曲の17歳が大ヒットし、天地真理などらと共に元祖アイドル歌手としてアイドル創世記を支えた。
1978年に学業を理由に芸能界を引退、1979年にはカメラマンの篠山紀信と結婚した。

【その後の活躍】
1991年から一時芸能活動を再開し紅白歌合戦に出場するなどしたが、活動は限定的かつ短期間によるものだった。

【南沙織の現在】
基本的に芸能活動はしておらず、稀にインタビューなどに答える程度である。

天地真理

アイドル歌手の礎を築いた『天地真理』
天地真理プロフィール生年月日1951年11月5日芸能界入り音楽系の高校卒業後、音楽事務所を経て女優の天路圭子に出会い芸能界入りキャッチフレーズ(あなたの心の隣にいるソニーの)白雪姫レコードデビュー1971年10月1日(水色の恋)主要音楽祭受
生年月日1951年11月5日
芸能界入り音楽系の高校卒業後、音楽事務所を経て女優の天路圭子に出会い芸能界入り
キャッチフレーズ(あなたの心の隣にいるソニーの)白雪姫
レコードデビュー1971年10月1日(水色の恋)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数3回
オリコン1位楽曲数5曲
代表曲71年:水色の恋(3位)
72年:ひとりじゃないの(1位)
72年:虹をわたって(1位)
73年:若葉のささやき(1位)
73年:恋する夏の日(1位)

【天地真理の70年代当時の活躍】
デビューから8作連続でオリコン3位以上を獲得し(内5曲は1位)、一気に国民的なアイドルとして人気者となる。
しかし急激に人気が出た分、人気の低下も凄まじく、デビュー4年後にはファンの熱も冷め人気は一気に沈静化していった。
そんな状況もあってか、1977年には体調の悪化から芸能活動を3年ほど休業することになる。

【その後の活躍】
復帰後は人気が上がらずヌードを披露するなどしたが、人気の回復には繋がらず、更には体型が激変し元アイドルとも思えないような姿となりファンをガッカリさせた。

【天地真理の現在】
養護老人ホームに入居していると言われ、週刊誌の報道によると認知症にかかっていることも示唆されている。

第4章:72年デビュー組

72年デビュー組は、『新三人娘』と『花の中三トリオ』の間にデビューしたため(森昌子とは同期)活躍した人は少ないですが、強力なライバルたちに埋もれることなくしっかり存在感を表した人たちもいます。

麻丘めぐみ

姉の思いを背負って大ヒット『麻丘めぐみ』
麻丘めぐみプロフィール生年月日1955年10月11日芸能界入り子役出身キャッチフレーズ-レコードデビュー1972年6月5日(芽ばえ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1972年日本レコード大賞最優秀新人賞(芽ばえ)1972年日...
生年月日1955年10月11日
芸能界入り子役出身
キャッチフレーズ
レコードデビュー1972年6月5日(芽ばえ)
主な音楽賞受賞歴1972年日本レコード大賞最優秀新人賞(芽ばえ)
紅白出場回数1回
オリコン1位楽曲数1曲
代表曲72年:芽ばえ(3位)
73年:わたしの彼は左きき(1位)

【麻丘めぐみの70年代当時の活躍】
強力なライバルたちが存在している時期にデビューしたが、レコード大賞(72年)では森昌子を抑え最優秀新人賞を獲得。(楽曲は芽生え)
その後も『わたしの彼は左きき』がヒットし、『新三人娘』や『花の中三トリオ』などに負けない人気を誇ったが、1977年に結婚し芸能界を引退した。

【その後の活躍】
1983年に離婚し芸能界に復帰、以降は主に女優・タレントとして活動した。

【麻丘めぐみの現在】
現在も芸能界で活躍中であり、テレビなどによく出演している。

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アグネス・チャン

香港から来た少女『アグネス・チャン』
アグネス・チャンのプロフィール生年月日1955年8月20日芸能界入り平尾昌晃により日本に紹介される(香港でのデビュー経緯は詳細不明)キャッチフレーズ香港から来た真珠レコードデビュー1972年11月25日(ひなげしの花)※※日本来日前に香港で
生年月日1955年8月20日
芸能界入り香港で歌手や女優活動をしたいたところがスカウトの目に止まり日本へ
キャッチフレーズ香港から来た真珠
レコードデビュー1972年11月25日(ひなげしの花)
主な音楽賞受賞歴1973年日本レコード大賞新人賞(草原の輝き)
1973年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(草原の輝き)
紅白出場回数3回
オリコン1位楽曲数1曲
代表曲72年:ひなげしの花(5位)
73年:草原の輝き(2位)
73年:小さな恋の物語(1位)

【アグネス・チャンの70年代当時の活躍】
香港からやって来たため片言の日本語しか喋れなかったが、逆にそれが可愛らしいと話題となりに人気を博すこととなる。
1976年には学業を理由に2年間ほど芸能活動を休止する。

【その後の活躍】
80年代以降はタレント業を中心に活躍した他、博士号の獲得や大学の客員教授就任など、芸能活動以外の活動も目立っていった。

【アグネス・チャンの現在】
現在も芸能活動を続けている他、公的な国際機関での活動も増えてきている。

本人のブログ
http://ameblo.jp/agneschan/

第5章:花の中三トリオ結成! 山口百恵が国民的歌手に成長

オーディション番組『スター誕生!』から誕生した中学三年生の森昌子、桜田淳子、山口百恵が1972年から1973年にかけて次々とデビューし(森昌子はデビューが1年早い)、『花の中三トリオ』と呼ばれました。(学年が上がるごとに呼び名が変わって、高三トリオまで呼ばれ続けた)
『花の中三トリオ』は『新三人娘』に変わってアイドル界を席巻し、特に山口百恵は国民的なスターへと成長していきます。

森昌子

『スター誕生!』初代グランドチャンピオン『森昌子』
森昌子プロフィール生年月日1958年10月13日芸能界入りスター誕生!(第1回グランドチャンピオン)キャッチフレーズあなたのクラスメートレコードデビュー1972年7月1日(せんせい)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1972年日本有線大賞優秀
生年月日1958年10月13日
芸能界入り『スター誕生!』初代グランドチャンピオン
キャッチフレーズあなたのクラスメート
レコードデビュー1972年7月1日(せんせい)
主な音楽賞受賞歴1972年日本レコード大賞新人賞(先生)
1972年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(せんせい)
紅白出場回数15回(内7回が70年代)
オリコン1位楽曲数
代表曲72年:せんせい(3位)
83年:越冬つばめ(27位)

【森昌子の70年代当時の活躍】
『スター誕生!』の初代グランドチャンピオンとなり、華々しいデビューを飾る。
アイドルとしての人気は同じ『花の中三トリオ』の2人に叶わなかったが、抜群の歌唱力が評価され本格的な歌手(演歌志向の強い歌手)へと成長、またモノマネがとても得意で、『オールスターものまね王座決定戦』第1回放送の優勝者にもなっている。

【その後の活躍】
1983年に越冬つばめがヒットするなど演歌歌手として活躍し、紅白には13回連続出場、トリも2回務めた。
1986年に演歌歌手の森進一と結婚し芸能界を引退、しかし2005年に森進一と離婚し芸能活動を再開した。(2001年以降限定的に芸能活動を再開していた)

【森昌子の現在】
芸能活動を継続中で、懐メロ番組などによく出演している。

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http://ameblo.jp/masakomori/

桜田淳子

天性のスーパーアイドル『桜田淳子』
桜田淳子プロフィール生年月日1958年4月14日芸能界入り『スター誕生!』第4回決戦大会グランドチャンピオンキャッチフレーズ-レコードデビュー1973年2月25日(天使も夢みる)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1973年日本レコード大賞最優
生年月日1958年4月14日
芸能界入り『スター誕生!』第4回決戦大会グランドチャンピオン
キャッチフレーズそよ風の天使
レコードデビュー1973年2月25日(天使も夢みる)
主な音楽賞受賞歴1973年日本レコード大賞最優秀新人賞(わたしの青い鳥)
1973年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(わたしの青い鳥)
紅白出場回数9回(内6回が70年代)
オリコン1位楽曲数1曲
代表曲73年:わたしの青い鳥(18位)
74年:はじめての出来事(1位)
75年:十七の夏(2位)
76年:夏にご用心(2位)
76年:ねえ!気がついてよ(2位)
77年:気まぐれヴィーナス(7位)
77年:しあわせ芝居(3位)

【桜田淳子の70年代当時の活躍】
可愛らしいルックスと明るく天真爛漫な性格で、『スター誕生!』の歴代最高得点・最多獲得表明を得ることになる。
『花の中三トリオ』の中で唯一のレコード大賞最優秀新人賞を受賞するなど、デビュー当時はアイドルとして森昌子、山口百恵以上の人気を誇った。

【その後の活躍】
70年代終盤からアイドルから本格的歌手への移行を目指すも、売り上げはみるみる下がり1983年にはレコードリリースを終了、活動の場を女優へとシフトしていく。
1992年には統一教会の合同結婚式に参加したことが大きな話題となり、そのことが影響し仕事を失うことになる。

【桜田淳子の現在】
2012年、サンミージックの会長である相澤秀禎の通夜で久しぶりに公の場に姿を表し話題となった他、同年11月26日に芸能活動40周年記念コンサートとして一夜限りの復帰を果たす。
参加者の話しによれば、当時と変わらない姿を見せたとのことである。

山口百恵

21歳で引退した伝説のアイドル『山口百恵』
山口百恵プロフィール生年月日1959年1月17日芸能界入りスター誕生!第5回決戦大会合格キャッチフレーズ-レコードデビュー1973年5月21日(としごろ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-ゴールデン・アロー賞受賞歴
生年月日1959年1月17日
芸能界入り『スター誕生!』第5回決戦大会合格
キャッチフレーズ大きなソニー、大きな新人
レコードデビュー1973年5月21日(としごろ)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数6回
オリコン1位楽曲数4曲
代表曲73年:青い果実(9位)
73年:禁じられた遊び(12位)
74年:春風のいたずら(11位)
74年:ひと夏の経験(3位)
74年:冬の色(1位)
75年:夏ひらく青春(4位)
76年:横須賀ストーリー(1位)
76年:赤い衝撃(3位)
77年:夢先案内人(1位)
77年:イミテイション・ゴールド(2位)
77年:秋桜(3位)
77年:プレイバックPart2(2位)
78年:絶体絶命(3位)
78年:いい日旅立ち(3位)
79年:美・サイレント(4位)
79年:しなやかに歌って(8位)
80年:謝肉祭(4位)
80年:ロックンロール・ウィドウ(3位)
80年:さよならの向う側(4位)

【山口百恵の70年代当時の活躍】
新人賞の賞レースに呼ばれることは全くなかったが、年齢にそぐわない過激な歌詞を採用した曲がヒットし、5thシングルから26thシングルまで連続してオリコン5位以上を獲得する国民的な歌手にまで成長していく。
また、主演するドラマも立て続けにヒットし、国民的アイドル・国民的スターにまで昇りつめることになる。

【その後の活躍】
1979年10月20日に俳優の三浦友和(ドラマや映画で何作も共演している)との交際を発表、更に1980年3月7日には三浦友和との結婚と芸能界からの引退も発表する。
そして1980年10月5日のファイナルコンサートを最後に芸能界を引退し、山口百恵は伝説となる。

【山口百恵の現在】
芸能界引退後、表舞台に立つことは一切ないが、そのことが却って山口百恵を神格化し、後年の評価は上がり続けている。

第6章:73年デビュー組

73年デビュー組は、『花の中三トリオ』の山口百恵、桜田淳子、更にキャンディーズと同期となり、アイドル歌謡界で活躍することは難しい世代だったと言えるかもしれません。

石川さゆり

紅白最多出場女性歌手『石川さゆり』
石川さゆりプロフィール生年月日1958年1月30日芸能界入りちびっ子歌謡大会出場からのスカウトキャッチフレーズコロムビア・プリンセスレコードデビュー1973年3月25日(かくれんぼ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要...
生年月日1958年1月30日
芸能界入りちびっ子歌謡大会で合格
キャッチフレーズコロムビア・プリンセス
レコードデビュー1973年3月25日(かくれんぼ)
主な音楽賞受賞歴1977年FNS歌謡祭最優秀グランプリ(津軽海峡・冬景色)
※演歌歌手としての受賞
紅白出場回数43回(内3回が70年代)※全て演歌歌手となってからの出演
オリコン1位楽曲数
代表曲77年:津軽海峡・冬景色(6位)
86年:天城越え(46位)
91年:ウイスキーが、お好きでしょ()

【石川さゆりの70年代当時の活躍】
デビュー当時はアイドル歌手として活動し、桜田淳子に代わり『花の中三トリオ』のメンバーにする考えもあったが(石川さゆりと森昌子・山口百恵は同じホリプロ所属だった)、アイドルとしては大成することはなかった。
もともと歌唱力に定評があったため演歌歌手へ転身し、大成功することになる。(1977年に津軽海峡・冬景色でFNS歌謡祭最優秀グランプリを受賞)

【その後の活躍】
演歌歌手として活躍を続け、紅白歌合戦には37年連続出場を果たす。(産休がなければ44回連続だった)
また、1986年には『天城越え』がヒットし、『津軽海峡・冬景色』に並ぶ代表曲となる。

【石川さゆりの現在】
演歌歌手の大御所として、精力的に歌手活動を続けている。

本人のブログ
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浅田美代子

TBS人気ドラマシリーズのヒロイン『浅田美代子』
浅田美代子プロフィール生年月日1956年2月15日芸能界入りスカウト→ドラマ『時間ですよ』オーディションキャッチフレーズソニーエンジェルレコードデビュー1973年4月21日(赤い風船)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主...
生年月日1956年2月15日
芸能界入り『時間ですよ』新人オーディション
キャッチフレーズソニー・エンジェル
レコードデビュー1973年4月21日(赤い風船)
主な音楽賞受賞歴1973年日本レコード大賞新人賞(赤い風船)
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数1曲
代表曲73年:赤い風船(1位)

【浅田美代子の70年代当時の活躍】
テレビドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などの人気ドラマに出演した他、当時の最短記録であるデビュー2週目でオリコンランキング1位を獲得するなど、同期デビューの『花の中三トリオ』に負けない人気を誇った。(デビュー曲の『赤い風船』は、1973年のオリコンランキング年間10位にランクインしている)
しかし1975年にフォークシンガーの吉田拓郎との噂が流れ人気が低下し、更に1977年にはその吉田拓郎と結婚し芸能界を引退する。

【その後の活躍】
1983年に吉田拓郎と離婚し芸能活動を再開、映画『釣りバカ日誌』の主人公・ハマちゃんの妻役として活躍した他、天然キャラがうけバラエティ番組に多数出演するお茶の間の人気者となる。

【浅田美代子の現在】
現在も天然キャラのタレントとして活動を続けている他、女優としても活躍中。

あべ静江

ラジオDJから人気歌手へ『あべ静江』
あべ静江プロフィール生年月日1951年11月28日芸能界入り子役出身キャッチフレーズフリージアの香りレコードデビュー1973年5月25日(コーヒーショップで)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)...
生年月日1951年11月28日
芸能界入り子役出身
キャッチフレーズフリージアの香り
レコードデビュー1973年5月25日(コーヒーショップで)
主な音楽賞受賞歴1973年日本レコード大賞新人賞(コーヒーショップで)
紅白出場回数1回
オリコン1位楽曲数
代表曲73年:コーヒーショップで(9位)
73年:みずいろの手紙(7位)

【あべ静江の70年代当時の活躍】
ラジオDJとして人気が出た後レコードデビューし、レコード大賞新人賞にも選ばれる。(最優秀新人賞ではない)

【その後の活躍】
レコードリリースは1979年で終了し、80年代以降は主に女優・タレントして活動した。

【あべ静江の現在】
現在も芸能活動中で、主にタレントとして活動している。

本人のブログ
http://ameblo.jp/abe-shizue/

安西マリア

事務所とのトラブルも・・・『安西マリア』
安西マリアプロフィール生年月日1953年12月16日(2014年3月15日没)芸能界入りスカウトキャッチフレーズチョコレート・マリアレコードデビュー1973年7月5日(涙の太陽)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽...
生年月日1953年12月16日
芸能界入りスカウト
キャッチフレーズチョコレート・マリア
レコードデビュー1973年7月5日(涙の太陽)
主な音楽賞受賞歴1973年日本レコード大賞新人賞(涙の太陽)
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲73年:涙の太陽(16位)

【安西マリアの70年代当時の活躍】
カバー曲となる『涙の太陽』がヒットし、レコード大賞新人賞に選ばれる。(最優秀新人賞ではない)
しかし1978年に所属事務所と揉め芸能界を引退した。

【その後の活躍】
2000年に芸能界復帰し、ライブ活動などを行っていた。

【安西マリアの現在】
2014年3月15日、急性心筋梗塞で逝去。
ご冥福をお祈り致します。

第7章:キャンディーズが大活躍! グループアイドルの成功

グループとしてのアイドル的存在としては、ザ・ピーナッツ(双子)やゴールデンハーフ(ハーフ)などの明確な括りでの成功例はありましたが、現在まで続くような俗にいうアイドルグループの成功例はキャンディーズ登場までありませんでした。
キャンディーズはアイドルグループの元祖と言え、以後のアイドル史に大きな影響を与えました。

キャンディーズ

元祖女性アイドルグループ『キャンディーズ』
キャンディーズのプロフィールメンバー生年月日伊藤蘭(ラン):1955年1月13日田中好子(スー):1956年4月8日藤村美樹(ミキ):1956年1月15日芸能界入りスクールメイツ出身キャッチフレーズ-レコードデビュー1973年9月1日(あな
メンバー生年月日伊藤蘭:1955年1月13日
田中好子:1956年4月8日
藤村美樹:1956年1月15日
芸能界入りスクールメイツから選考されキャンディーズを結成
キャッチフレーズ
レコードデビュー1973年9月1日(あなたに夢中)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数3回
オリコン1位楽曲数1曲
代表曲75年:年下の男の子
75年:ハートのエースが出てこない
76年:春一番
77年:やさしい悪魔
77年:暑中お見舞い申し上げます
78年:微笑がえし

【キャンディーズの70年代当時の活躍】
デビュー当時は決して売れていたとは言えなかったが、大手芸能事務所所属(ナベプロ)ということもありテレビ番組の出演は多かった。
5曲目のシングル以降は、センターを田中好子から伊藤蘭に変え一気にブレークし、70年代を代表するアイドルにまで成長する。
しかし1977年7月17日に『普通の女の子に戻りたい』の名言を残し解散を宣言、1978年4月4日のコンサートをもって解散した。

【その後の活躍】
伊藤蘭と田中好子は、共に1980年に芸能界復帰し女優として成功、藤村美樹は1983年の一時的な復帰を除いて芸能界から引退した。
私生活では、伊藤蘭は水谷豊と結婚、田中好子は夏目雅子の実兄である小達一雄と結婚した。

【キャンディーズの現在の動向】
伊藤蘭は、現在も女優として活動中。
藤村美樹は、芸能界を引退。
田中好子は、2011年4月21日に多臓器ガンのため逝去。
ご冥福をお祈り致します。

第8章:74年~75年デビュー組

74年~75年デビュー組は、『花の中三トリオ』の3人及びキャンディーズとピンク・レディーの間にデビューした人たちで、早々にアイドルから女優や本格的歌手、タレントなどへとに転身した方が多いようです。

林寛子

「君こそスターだ!」第1回グランドチャンピオン『林寛子』
林寛子プロフィール生年月日1959年10月16日芸能界入り子役出身※※その後、オーディション番組『君こそスターだ!』でグランドチャンピオン獲得キャッチフレーズ-レコードデビュー1974年3月25日(ほほえみ)主要音楽祭受賞歴(最優秀...
生年月日1959年10月16日
芸能界入り子役 → 『君こそスターだ!』第1回グランドチャンピオン
キャッチフレーズそよ風みたいな女の子
レコードデビュー1974年3月25日(ほほえみ)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲

【林寛子の70年代当時の活躍】
『スター誕生!』のライバル番組である『君こそスターだ!』の第1回グランドチャンピオンとして期待を込められてデビューするが、歌手として大成はしなかった。
元々子役出身ということもあり、アイドル歌手としてより女優としての活動が中心となる。

【その後の活躍】
1980年に映画監督・黒澤明の実子で映画プロデューサーの黒澤久雄と結婚(後に離婚)。
80年代以降は、主にタレントして活動した。

【林寛子の現在】
現在も芸能活動を続けており、情報番組のコメンテーターなどで見る機会が多い。

本人のブログ
http://ameblo.jp/aisiteru-kawaii/

リンリン・ランラン

双子×外国出身×アイドル=『リンリン・ランラン』
リンリン・ランランのプロフィールメンバー生年月日リンリン:1959年1月3日ランラン:1959年1月3日芸能界入り香港で芸能界デビュー後に来日キャッチフレーズ-レコードデビュー1974年4月15日(恋のインディアン人形)主要音楽祭受...
メンバー生年月日1959年1月3日
ランラン:1959年1月3日
芸能界入り香港で芸能活動をしていたところをスカウト
キャッチフレーズ
レコードデビュー1974年4月15日(恋のインディアン人形)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲74年:恋のインディアン人形(27位)

【リンリン・ランランの70年代当時の活躍】
外国人の双子という、これ以上ない特徴が受けデビュー曲の『恋のインディアン人形』がヒット。
その後もテレビ番組のアシスタントなどで活躍した。

【その後の活躍】
少なくとも1970年代には芸能界を引退している。

【リンリン・ランランの現在】
現在はアメリカで普通に暮らしているようである。

伊藤咲子

ひまわり娘『伊藤咲子』
伊藤咲子プロフィール生年月日1958年4月2日芸能界入りスター誕生!キャッチフレーズ-レコードデビュー1974年4月20日(ひまわり娘)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1973年下期銀座音楽祭グランプリ主要音楽祭受賞歴(...
生年月日1958年4月2日
芸能界入り『スター誕生!』第8回決勝大会合格
キャッチフレーズ
レコードデビュー1974年4月20日(ひまわり娘)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数1回
オリコン1位楽曲数
代表曲74年:ひまわり娘(20位)
75年:乙女のワルツ(5位)
76年:きみ可愛いね(9位)

【伊藤咲子の70年代当時の活躍】
デビュー曲の『ひまわり娘』がヒット、以降もいくつかの楽曲でヒット曲を輩出し1976年には紅白歌合戦にも出場した。

【その後の活躍】
80年代以降はヒット曲に恵まれず、1989年の結婚を期に歌手活動を停止する。

【伊藤咲子の現在】
2004年に歌手活動を再開し、懐メロ番組などによく出演している。

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浅野ゆう子

アイドル・モデル・女優の三変化『浅野ゆう子』
浅野ゆう子プロフィール生年月日1960年7月9日芸能界入り『歌う新人王決定戦』優勝※これ以前にスカウトを受け少しずつ芸能活動を始めていたキャッチフレーズジャンプするカモシカレコードデビュー1974年5月25日(とびだせ初恋)主要音楽...
生年月日1960年7月9日
芸能界入り『歌う新人王決定戦』4代目チャンピオン
キャッチフレーズジャンプするカモシカ
レコードデビュー1974年5月25日(とびだせ初恋)
主な音楽賞受賞歴1975年日本レコード大賞新人賞(恋はダンダン)
紅白出場回数0回(1991年に司会として出演)
オリコン1位楽曲数
代表曲74年:恋はダン・ダン(38位)
76年:セクシー・バス・ストップ(12位)

【浅野ゆう子の70年代当時の活躍】
13歳という若さでデビューしたにもかかわらず、背が高く大人びた顔をしているアンバランス感のある異色のアイドルだったが、あまり受け入れられずに歌手としては大成しなかった。

【その後の活躍】
80年代以降はキャンペーンガールなどのグラビア活動に力を入れた他、80年代後半からは女優として大成しテレビドラマで主演することも多かった。
特にバブル期に作られたトレンディドラマに多数出演し、トレンディドラマを代表する女優としてして知られる。

【浅野ゆう子の現在】
連続ドラマの主役を演じることは減ったが、現在も女優として活躍中。

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松本ちえこ

初代バスボンガール『松本ちえこ』
松本ちえこプロフィール生年月日1959年11月12日(2019年11月17日没)芸能界入り『前武のヤングアップ』タレントスカウトコーナー合格キャッチフレーズ小リスのチーコレコードデビュー1974年8月25日(ボーイフレンド)主要音楽祭受..
生年月日1959年11月12日
芸能界入り『前武のヤングアップ』のタレントスカウトコーナーで合格
キャッチフレーズ小リスのチーコ
レコードデビュー1974年8月25日(ボーイフレンド)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲76年:恋人試験(5位)

【松本ちえこの70年代当時の活躍】
資生堂の入浴商品ブランド『バスボン』のCMに抜擢され人気を博し、3枚目のシングル『恋人試験』がヒット。

【その後の活躍】
80年代に入ってからは女優活動に専念し、日活ロマンポルノなどにも出演している。

【松本ちえこの現在】
2019年11月17日、大動脈瘤破裂のため逝去。
ご冥福をお祈り致します。

太田裕美

アイドルとフォークの融合『太田裕美』
太田裕美プロフィール生年月日1955年1月20日芸能界入りスクーメイツ出身キャッチフレーズまごころ弾き語りレコードデビュー1974年11月1日(雨だれ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1975年上期銀座音楽祭グランプリ主...
生年月日1955年1月20日
芸能界入りスクールメイツ→『ヤング101』オーディション
キャッチフレーズまごころ弾き語り
レコードデビュー1974年11月1日(雨だれ)
主な音楽賞受賞歴1975年日本レコード大賞新人賞(雨だれ)
紅白出場回数5回(内4回が70年代)
オリコン1位楽曲数
代表曲75年:雨だれ(14位)
75位:木綿のハンカチーフ(2位)

【太田裕美の70年代当時の活躍】
デビュー曲の『雨だれ』がレコード大賞新人賞を獲得する他(最優秀新人賞ではない)、4枚目のシングルレコード『木綿のハンカチーフ』が大ヒットとなり人気を博すこととなる。
『木綿のハンカチーフ』は、『およげたいやきくん』に阻まれオリコン週間ランキング1位を獲れなかったものの、年間では4位を獲得するほどの大ヒットだった。

【その後の活躍】
元々アイドルよりも本格的な歌手としての志向が強かったこともあり、80年代以降精力的に歌手活動を続けていた。

【太田裕美の現在】
現在でも歌手活動を続けており、テレビなどで年齢を感じさせないような若々しい声で歌を披露している。

本人のブログ
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片平なぎさ

歌手から女優への華麗なる転身『片平なぎさ』
片平なぎさプロフィール生年月日1959年7月12日芸能界入り『スター誕生!』合格キャッチフレーズ-レコードデビュー1975年1月20日(純愛)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-ゴ...
生年月日1959年7月12日
芸能界入り『スター誕生!』第9回決勝大会合格
キャッチフレーズ
レコードデビュー1975年1月20日(純愛)
主な音楽賞受賞歴1975年日本レコード大賞新人賞(美しい契り)
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲75年:美しい契り(46位)

【片平なぎさの70年代当時の活躍】
『スター誕生!』からデビューし4年ほどで歌手活動をしたが、その後は女優業に転身した。
1977年には、漫画ブラック・ジャックの実写版映画で主演している。(ブラック・ジャックが主人公ではないストーリー)

【その後の活躍】
80年代以降も女優として活躍、更に90年代以降は2時間もののドラマによく出演し『2時間ドラマの女王』と呼ばれた。
また、1981年から1992年まで人気バラエティ番組である『新婚さんいらっしゃい!』のアシスタントも務めた。

【片平なぎさの現在】
現在でもテレビドラマの主役を演じるなど、日本のドラマ界に欠かせない存在となっている。

岩崎宏美

70年代アイドル最高の歌唱力?『岩崎宏美』
岩崎宏美プロフィール生年月日1958年11月12日芸能界入り松田トシや先代水谷八重子に弟子入り後、『スター誕生!』で合格キャッチフレーズ天まで響け岩崎宏美レコードデビュー1975年4月25日(二重唱(デュエット)) 主要音楽祭受賞歴(..
生年月日1958年11月12日
芸能界入り松田トシや水谷八重子に師事後→『スター誕生!』第11回決勝大会グランドチャンピオン
キャッチフレーズ天まで響け岩崎宏美
レコードデビュー1975年4月25日(二重唱(デュエット))
主な音楽賞受賞歴1975年日本レコード大賞新人賞(ロマンス)
1975年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(ロマンス)
1975年下期FNS歌謡祭最優秀新人賞(ロマンス)
1982年日本歌謡大賞(聖母たちのララバイ)
紅白出場回数14回(内5回が70年代)
オリコン1位楽曲数3曲(内2曲が70年代)
代表曲75年:二重唱(デュエット)(19位)
75年:ロマンス(1位)
78年:シンデレラ・ハネムーン(13位)
82年:聖母たちのララバイ(1位)

【岩崎宏美の70年代当時の活躍】
デビュー2曲目の『ロマンス』が大ヒットし(1975年の年間オリコンランキング6位)、一躍トップアイドルの仲間入りする。
歌唱力にとても定評があり、アイドルとしてよりも本格的な歌手として評価されていた。

【その後の活躍】
1982年に『聖母たちのララバイ』がヒットするなど、ますます本格的な歌手として評価され、紅白歌合戦の出場回数は14回に及んだ。
また、妹の岩崎良美も芸能界デビューし『タッチ』などのヒット曲を歌った。

【岩崎宏美の現在】
現在も現役バリバリで歌手活動を続けている。

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ザ・リリーズ

ザ・ピーナッツの後継グループ?『ザ・リリーズ』
ザ・リリーズのプロフィールメンバー生年月日燕奈緒美:1960年12月7日燕真由美:1960年12月7日(2023年1月24日没)芸能界入り事務所オーディションキャッチフレーズ-レコードデビュー1975年6月5日(水色のときめき)主要...
メンバー生年月日燕奈緒美:1960年12月7日
燕真由美:1960年12月7日
芸能界入り事務所オーディション
キャッチフレーズ
レコードデビュー1975年6月5日(水色のときめき)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲75年:好きよキャプテン(39位)

【ザ・リリーズの70年代当時の活躍】
双子姉妹で、同じ事務所で同じ双子の女性歌手だったザ・ピーナッツの後継者と期待されたが、先人があまりに偉大すぎたためか大きなヒットはできず、また同じ年デビューしたピンク・レディーがブームとなり2人組アイドルとしても存在感が薄れてしまう。
唯一のヒット曲『好きよキャプテン』もオリコン最高順位39位止まりだった。

【その後の活躍】
80年代中頃までは歌手活動を続けたが、結婚や出産を経て2人の活動が難しくなっていく。

【ザ・リリーズの現在】
子育ても一段落した2005年に再結成し、現在は懐メロ番組などに出演している

本人のブログ(2人共通のブログ)
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第9章:日本芸能史上最大のブーム! ピンクレディーが時代を席巻

ピンクレディーは、日本芸能界史上最大のブームとして一大旋風を巻き起こしました。
当時としてはあり得ない9作連続のオリコンランキング1位や、同じ年に別の曲で音楽賞の大賞獲得など(1978年に日本歌謡大賞はサウスポー、レコード大賞はUFOを受賞)、全盛期はとにかく老若男女構わず日本全体がピンク・レディーに染まることになります。
しかし所属事務所が新興の芸能事務所だったせいか、芸能界のしきたりなどを守らないような活動が目立ち(紅白歌合戦の辞退やアメリカの進出)、一気に人気が低下していきました。

ピンク・レディー

日本芸能史上最大のブームを起こした『ピンク・レディー』
ピンク・レディープロフィール生年月日ミー:1958年3月9日ケイ:1957年9月2日芸能界入りスター誕生!キャッチフレーズ-レコードデビュー1976年8月25日(ペッパー警部)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)197
メンバー生年月日ミー:1958年3月9日
ケイ:1957年9月2日
芸能界入りヤマハボーカルスクール→『スター誕生!』第16回決勝大会合格
キャッチフレーズ
レコードデビュー1976年8月25日(ペッパー警部)
主な音楽賞受賞歴1976年日本レコード大賞新人賞(ペッパー警部)
1978年日本レコード大賞(UFO)
1978年日本歌謡大賞(サウスポー)
紅白出場回数4回(内1回が70年代)
オリコン1位楽曲数9曲
代表曲76年:ペッパー警部
76年:S・O・S
77年:カルメン'77
77年:渚のシンドバッド
77年:ウォンテッド(指名手配)
77年:UFO
78年:サウスポー
78年:モンスター
78年:透明人間
78年:カメレオン・アーミー
79年:Kiss In The Dark

【ピンク・レディーの70年代当時の活躍】
デビュー2曲目か10曲目までで通算63週のオリコンランキング1位を達成、1977年7月第3週から1978年2月第3週までの28週のうち27週にわたりピンク・レディーが1位を獲得するという異常事態といえるほどの過熱したブームを巻き起こす。
夜のヒットスタジオでは、ピンク・レディーが忙しすぎてリハーサルに出れなかったため、代わりに山口百恵と桜田淳子がリハーサルを行ったという逸話まである。(逸話ではなく事実である)
70年代を代表するアイドル同士の山口百恵とは、1978年にお互いの代表曲をかけてレコード大賞を争い(ピンク・レディーはUFO、山口百恵はプレイバックPart2)、見事にこの直接対決を制するなど正に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
しかし、1978年の紅白歌合戦を辞退したり海外進出を目指したりと、ファンの想いと行動に隔たりが出始めて一気に人気は沈静化していく。

【その後の活躍】
70年代の終わりにアメリカに進出するも思ったよりも活躍できず帰国(とは言え坂本九に次ぐヒット曲を輩出し、テレビで冠番組も持っていた)、しかし日本でのブームは去っており芸能界のおけるピンク・レディーの居場所は既になかった。
その後間もなく解散を発表し、1981年3月31日に解散コンサートをもって活動を停止した。
解散後、ケイは増田恵子と改名し『すずめ』がヒット、ミーはMIEと改名し『NEVER』がヒットするが、ピンク・レディーのイメージが強すぎて解散後の芸能活動にも少なからぬ支障があったようである。

【ピンク・レディーの現在】
2人共芸能活動を続けてる他、ピンク・レディーの再結成も繰り返し、ついには解散を撤回。
ピンク・レディーとしてテレビ出演することも多い。

ケイのブログ
http://www.kei-office.net/gallery/

ミーのブログ
http://www.web-mie.com/gallery/index.html

第10章:フレッシュ三人娘の登場

『フレッシュ三人組』は、ピンクレディーがデビューしたの翌年(77年)に誕生した3人のアイドル(榊原郁恵、清水由貴子、高田みづえ)を指しますが、当時はピンクレディーの勢いがあまりに凄すぎて、アイドルとしてはメジャーになれませんでした。

榊原郁恵

70年代終盤のNo.1アイドル『榊原郁恵』
榊原郁恵プロフィール生年月日1959年5月8日芸能界入り第1回ホリプロスカウトキャラバン優勝キャッチフレーズ1億円のシンデレラレコードデビュー1977年1月1日(私の先生)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞...
生年月日1959年5月8日
芸能界入り『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』優勝
キャッチフレーズ1億円のシンデレラ
レコードデビュー1977年1月1日(私の先生)
主な音楽賞受賞歴1977年日本レコード大賞新人賞(「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」)
紅白出場回数6回(内2回が70年代)
オリコン1位楽曲数
代表曲78年:夏のお嬢さん(11位)

【榊原郁恵の70年代当時の活躍】
第1回の『ホリプロスカウトキャラバン』の優勝者で、ホリプロの強力なバックアップのもとアイドルとしての人気も上昇していく。
ヒット曲にはなかなか恵まれなかったが、7枚のシングル『夏のお嬢さん 』はそれなりにヒットした。

【その後の活躍】
80年代前半まででレコードリリースはほぼ終了したが、女優やタレントとしても人気が出て『レッツゴーヤング』や『ザ・トップテン』などでは司会も務めた。
90年代以降も親しみやすいキャラクターがうけ、タレントとしてのテレビ出演はとても多かった。

【榊原郁恵の現在】
現在でもタレントとして活躍中で、一般的にもっとも目にすることの多い70年代アイドルの1人である。

清水由貴子

ピンク・レディーに勝ったアイドル?『清水由貴子』
清水由貴子プロフィール生年月日1959年9月7日(2009年4月20日没)芸能界入り『スター誕生!』キャッチフレーズほほえみスイング、まごころハミングレコードデビュー1977年3月1日(お元気ですか)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)...
生年月日1959年9月7日
芸能界入り『スター誕生!』第16回決勝大会グランプリ
キャッチフレーズほほえみスイング まごころハミング
レコードデビュー1977年3月1日(お元気ですか)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲77年:お元気ですか(30位)

【清水由貴子の70年代当時の活躍】
ピンク・レディーと同じ『スター誕生!』決戦大会に出場し、ピンク・レディー以上の評価をされたものの、芸能界デビュー後はそのピンク・レディーの影に隠れヒット曲を出すことは叶わなかった。

【その後の活躍】
80年代以降は女優やタレントとしての活躍が中心となり、お茶の間で目にすることも多かった。

【清水由貴子の現在】
2009年4月21日、介護疲れにより自殺。
ご冥福をお祈り致します。

高田みづえ

3年ごとにヒット曲!『高田みづえ』
高田みづえプロフィール生年月日1960年6月23日芸能界入り『君こそスターだ!』第18代グランドチャンピオンキャッチフレーズ-レコードデビュー1977年3月25日(硝子坂)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1977年日本歌謡大賞放...
生年月日1960年6月23日
芸能界入り『君こそスターだ!』第18代グランドチャンピオン
キャッチフレーズ
レコードデビュー1977年3月25日(硝子坂)
主な音楽賞受賞歴1977年日本レコード大賞新人賞(硝子坂)
1977年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(硝子坂)
1977年FNS歌謡祭最優秀新人賞(硝子坂)
紅白出場回数7回(内2回が70年代)
オリコン1位楽曲数
代表曲77年:硝子坂(9位)
80年:私はピアノ(5位)
83年:そんなヒロシに騙されて(6位)

【高田みづえの70年代当時の活躍】
『スター誕生!』のライバル番組である『君こそスターだ!』で芸能界入りし、デビュー曲の『硝子坂』がヒットした。

【その後の活躍】
80年代以降もコンスタントにヒット曲を出し紅白歌合戦などにもよく出演していたが、1985年に大関・若島津と結婚し芸能界を引退。

【高田みづえの現在】
二所ノ関部屋の女将さんとして日々頑張っていることでしょう。

第11章:77年以降デビュー組

77年から79年にデビューした面々は、ピンクレディーブームと松田聖子のデビュー以降から始まる80年代アイドルブームに飲み込まれてしまった感のある悲運の世代と言えます。

石野真子

八重歯が特徴!『石野真子』
石野真子プロフィール生年月日1961年1月31日芸能界入りスター誕生!キャッチフレーズ100万ドルの微笑レコードデビュー1978年3月25日(狼なんか怖くない)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1978年日本歌謡大賞優秀音楽放送賞...
生年月日1961年1月31日
芸能界入り平尾昌晃歌謡学院大阪校生→『スター誕生!』第20回決戦大会合格
キャッチフレーズ100万ドルの微笑
レコードデビュー1978年3月25日(狼なんか怖くない)
主な音楽賞受賞歴1978年日本レコード大賞新人賞(失恋記念日)
1978年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(失恋記念日)
紅白出場回数2回(内1回が70年代)
オリコン1位楽曲数
代表曲78年:狼なんか怖くない(17位)
78年:失恋記念日(24位)

【石野真子の70年代当時の活躍】
デビュー曲の『狼なんか怖くない』以降、大ヒットはないもののスマッシュヒットを続けていた。

【その後の活躍】
80年代以降は『レッツゴーヤング』や『スター誕生!』で司会を務めるなどタレントとしても人気が出ていたが、1981年9月に人気歌手の長渕剛との結婚と芸能界引退を発表する。
しかし1983年5月に離婚及び芸能界復帰をし、以降は『歌のトップテン』の司会を務めるなどタレントとした活躍した。

【石野真子の現在】
現在もタレント活動を中心に芸能活動を続けてる他、近年では積極的に歌手活動を行っている。

本人のブログ(有料コンテンツ)
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トライアングル

キャンディーズの正統後継グループ『トライアングル』
トライアングルのプロフィールメンバー生年月日ミッチ:1960年3月6日マミ:1960年4月9日クーコ:1960年5月12日(途中脱退)アキ:1962年12月15日(途中加入)芸能界入り渡辺プロ東京音楽学院出身キャッチフレーズ-レコードデビュ
メンバー生年月日ミッチ1960年3月6日
マミ1960年4月9日
クーコ1960年5月12日※途中脱退
アキ62年12月15日※途中加
芸能界入り
キャッチフレーズキャンディーズの妹分
レコードデビュー1978年4月21日(トライアングル・ラブレター)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲78年:トライアングル・ラブレター(28位)

【トライアングルの70年代当時の活躍】
キャンディーズ引退直後の女性アイドル業界は、ポスト・キャンディーズとして3人組アイドルグループが次々登場しており、その中でもっとも有名なのがキャンディーズの事務所の後輩で結成されたトライアングルだった。
とはいえ、キャンディーズの印象が強すぎてどのグループも大成しなかったのが実情である。

【その後の活躍】
1981年に解散。

【トライアングルの現在】
不明

石川ひとみ

デビュー3年で悲願のヒット『石川ひとみ』
石川ひとみプロフィール生年月日1959年9月20日芸能界入り『君こそスターだ!』チャンピオンキャッチフレーズ-レコードデビュー1978年5月25日(右向け右)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)...
生年月日1959年9月20日
芸能界入り『君こそスターだ!』第20代グランドチャンピオン
キャッチフレーズ78 歌謡界最大の輝くひとみ
レコードデビュー1978年5月25日(右向け右)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数1回(70年代の出場はない)
オリコン1位楽曲数
代表曲81年:まちぶせ(6位)

【石川ひとみの70年代当時の活躍】
70年代にヒット曲はなく、70年代のもっとも有名な仕事はNHK人形劇『プリンプリン物語』の声優である。

【その後の活躍】
1981年に『まちぶせ』がヒットし、紅白歌合戦に出場。
当時の人気歌番組『レッツゴーヤング』では、女性としてもっとも長く司会を務めた。

【石川ひとみの現在】
現在も芸能活動を続けている他、B型肝炎を発病した経験から肝炎に関する講演活動なども行っている。

倉田まり子

今やキャリア・カウンセラー『倉田まり子』
倉田まり子プロフィール生年月日1960年11月20日芸能界入りキャッチフレーズ-レコードデビュー1979年1月21日(グラジュエイション)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)1979年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞1979年FN...
生年月日1960年11月20日
芸能界入り素人時代に出た『家族そろって歌合戦』でスカウト
キャッチフレーズ
レコードデビュー1979年1月21日(グラジュエイション)
主な音楽賞受賞歴1979年日本レコード大賞新人賞(How!ワンダフル)
1979年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞(How!ワンダフル)
1979年FNS歌謡祭最優秀新人賞(How!ワンダフル)
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲79年:How!ワンダフル(52位)

【倉田まり子の70年代当時の活躍】
1979年の新人賞を総ナメにしたが、対象曲の『How!ワンダフル』はオリコン52位止まりだった。

【その後の活躍】
80年代アイドルブームの波にのみ込まれ存在感が示せず、声優挑戦やものまね番組出演などでアイドルとしての道を模索するも、1985年に投資ジャーナル事件に巻き込まれて芸能界を引退した。

【倉田まり子の現在】
芸能界は引退しており、坪田まり子として『キャリア・カウンセラー』の仕事を行っている。

第12章:歌手活動以外で人気がでたアイドルたち

天地真理の登場以降、アイドル=歌手(アイドル歌手)という定義付けがされていきましたが、歌手活動以外でアイドル的な人気の出た人たちもいました。

坂口良子

2代目ミス・セブンティーン『坂口良子』
坂口良子プロフィール生年月日1955年10月23日(2013年3月27日没)芸能界入り第1回『ミスセブンティーンコンテスト』優勝キャッチフレーズ-レコードデビュー1972年4月10日(あこがれ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-...
生年月日1955年10月23日
芸能界入り『1971年ミス・セブンティーンコンテスト』優勝
キャッチフレーズ
レコードデビュー1972年4月(あこがれ)

【坂口良子の70年代当時の活躍】
歌手としては大成しなかったが、人気ドラマに次々と出演しアイドル的な人気を得ることとなる。

【その後の活躍】
女優として数々のドラマに出演し、2時間ドラマなどでは主役を演じることも多かった。

【坂口良子の現在】
2013年3月27日、横行結腸癌および肺炎のため逝去。
ご冥福をお祈り致します。

水沢アキ

連想ゲーム最年少キャプテン『水沢アキ』
水沢アキプロフィール生年月日1954年12月5日芸能界入り子役出身キャッチフレーズソニー家の三女レコードデビュー1973年7月1日(娘ごころ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-ゴ...
生年月日1954年12月5日
芸能界入り劇団若草→スカウト
キャッチフレーズソニー家の三女
レコードデビュー1973年7月1日(娘ごころ)

【水沢アキの70年代当時の活躍】
歌手としては大成しなかったが、当時の人気クイズ番組『連想ゲーム』のレギュラーに選ばれ、更には若くして紅組(女性チーム)のキャプテンにも選ばれるなど人気を博していた。

【その後の活躍】
80年代以降も、女優・タレントとして活躍した。

【水沢アキの現在の動向】
現在も、女優・タレントとして活躍中。

木之内みどり

愛の逃避行『木之内みどり』
木之内みどりプロフィール生年月日1957年6月10日芸能界入り『ミス・ティーン・コンテスト』準優勝を経て歌謡番組のアシスタントにキャッチフレーズ-レコードデビュー1974年5月10日(めざめ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-...
生年月日1957年6月10日
芸能界入り『ミス・ティーン・コンテスト』準優勝 → 歌番組のマスコットガール
キャッチフレーズ
レコードデビュー1974年5月10日(めざめ)

【木之内みどりの70年代当時の活躍】
歌手としては成功しなかったが、映画『野球狂の詩』やテレビドラマ『刑事犬カール』に主演し人気者となり、またグラビアアイドルとしても人気があった。
しかし、1979年9月に後藤次利との不倫交際が発覚し、そのまま芸能界を引退した。

【その後の活躍】
1984年に後藤次利と結婚したが1987年には離婚、1990年には俳優の竹中直人と結婚した。
※余談だが、後藤次利は1994年におニャン子クラブの河合その子と結婚している。

【木之内みどりの現在】
芸能界からは引退している。

相本久美子

TVジョッキーアシスタント『相本久美子』
近藤久美子/相本久美子プロフィール生年月日1958年5月27日芸能界入りスカウトキャッチフレーズ-レコードデビュー1974年9月21日(小さな抵抗)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-...
生年月日1958年5月27日
芸能界入り牧葉ユミによるスカウト
キャッチフレーズ
レコードデビュー1974年9月21日(小さな抵抗)

【相本久美子の70年代当時の活躍】
歌手としては大成しなかったが、当時の人気バラエティ番組『TVジョッキー』のアシスタント司会を6年半務めるなど人気を得ていた。

【その後の活躍】
80年代以降は女優・タレントとして活躍した。

【相本久美子の現在】
現在も芸能活動を続けており、近年は歌手活動に力を入れている模様。

本人のブログ
http://ameblo.jp/aimoto-kumiko/

岡田奈々

初代ポッキーCMガール『岡田奈々』
岡田奈々プロフィール生年月日1959年2月12日芸能界入りスカウトから『あなたをスターに!』第2回チャンピオンキャッチフレーズ-レコードデビュー1975年5月10日(ひとりごと)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽...
生年月日1959年2月12日
芸能界入り『あなたをスターに!』の第2回チャンピオン
キャッチフレーズ
レコードデビュー1975年5月10日(ひとりごと)

【岡田奈々の70年代当時の活躍】
歌手としては大成しなかったが、人気ドラマ『俺たちの旅』の出演や、アイドルが登場することが定番となっている『ポッキー』CMの初代CMガールも務めている。

【その後の活躍】
80年代以降は本格的な女優として活動し、数々のテレビドラマや映画に出演した。

【岡田奈々の現在】
現在も芸能活動を続けている他、見た目がとても若々しいことが話題となることも多い。

五十嵐夕紀

ザ・アシスタント『五十嵐夕紀』
五十嵐夕紀プロフィール生年月日1960年7月14日芸能界入り『スター・オン・ステージ あなたならOK!』からのスカウトキャッチフレーズ-レコードデビュー1977年4月20日(6年たったら)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-...
生年月日1960年7月14日
芸能界入りスクールメイツ → 『スター・オン・ステージ あなたならOK!』合格
キャッチフレーズ
レコードデビュー6年たったら(1977年4月20日)

【五十嵐夕紀の70年代当時の活躍】
『レッツゴーヤング』、『クイズ・ドレミファドン!』、『ぎんざNOW!』などの人気番組にアシスタントして次々出演し人気を得ることとなる。

【その後の活躍】
80年代以降人気が低下し日活ロマンポルノなどに出演するも、人気は回復せずに1987年に芸能界を引退した。

【五十嵐夕紀の現在】
芸能界を引退している。

香坂みゆき

人気番組「欽ドン!」出身『香坂みゆき』
香坂みゆきプロフィール生年月日1963年2月7日芸能界入り子役出身キャッチフレーズ-レコードデビュー1977年4月21日(愛の芽ばえ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大賞)-ゴールデン...
生年月日1963年2月7日
芸能界入り子役出身
キャッチフレーズ飛び出せビーバー14才
レコードデビュー1977年4月21日(愛の芽ばえ)

【香坂みゆきの70年代当時の活躍】
『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のアシスタントとして人気を博し歌手デビューするが、歌手としては大成せずにタレントや女優として活躍する。

【その後の活躍】
1984年に『ニュアンスしましょ』がスマッシュヒット(オリコン最高ランキング13位)した他、女優・タレントとしても人気が出てマルチに活躍した。

【香坂みゆきの現在】
タレント業や情報番組のコメンテーターなどで現在も活躍中。

大場久美子

二代目コメットさん『大場久美子』
大場久美子プロフィール生年月日1960年1月6日芸能界入り子役から『あなたをスターに!』特別賞キャッチフレーズ一億人の妹レコードデビュー1977年6月5日(あこがれ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主要音楽祭受賞歴(大...
生年月日1960年1月6日
芸能界入り子役→『あなたをスターに!』特別賞
キャッチフレーズ一億人の妹
レコードデビュー1977年6月5日(あこがれ)

【大場久美子の70年代当時の活躍】
1978年に始まったテレビドラマ『コメットさん』が大ヒットし人気者となるが、歌手としては大成せず、1979年に『音痴だから』という理由で歌手活動を停止する。

【その後の活躍】
女優・タレントとして活躍するも、家が火事で全焼、飲食店経営の失敗、所属事務所の倒産と不運が続き、そのことが逆に話題になることもあった。(1994年には自己破産している)

【大場久美子の現在】
タレント業を中心に現在も芸能活動継続中。

本人のブログ
http://ameblo.jp/kumiko-ohba/

荒木由美子

燃えろアタック!『荒木由美子』
荒木由美子プロフィール生年月日1960年1月25日芸能界入り第1回『ホリプロタレントスカウトキャラバン』審査員特別賞キャッチフレーズ-レコードデビュー1977年6月10日(渚でクロス)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-主...
生年月日1960年1月25日
芸能界入り『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』審査員特別賞
キャッチフレーズ
レコードデビュー1977年6月10日(渚でクロス)

【荒木由美子の70年代当時の活躍】
ヒット曲には恵まれなかったが、1979年から放送されたスポ根ドラマ『燃えろアタック』に主演し人気者となる。

【その後の活躍】
1983年に結婚し芸能界を引退。

【荒木由美子の現在】
義理の母の介護経験を活かした公演や出版などを行い、一部芸能活動も再開している。

アグネス・ラム

元祖グラビアアイドル『アグネス・ラム』
アグネス・ラムのプロフィール生年月日1956年5月21日芸能界入りハワイでモデルデビュー後、日本人関係者にスカウトキャッチフレーズ-レコードデビュー1977年7月(雨あがりのダウンタウン)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-...
生年月日1956年5月21日
芸能界入りスカウト(その前にミスUSAハワイ代表に選ばれている)
キャッチフレーズ
レコードデビュー1977年7月10日(雨あがりのダウンタウン)

【アグネス・ラムの70年代当時の活躍】
グラビアを中心として活躍し、グラビアアイドルの元祖的な存在として人気が爆発。
ハワイ生まれのアメリカ人(アメリカ人と中国人のハーフ)なため日本語ができず、歌や芝居、その他のタレント活動は限定的であったが、そのことが逆にグラビアアイドル『アグネス・ラム』を生むこととなった。

【その後の活躍】
1983年に芸能界を引退、1986年には地元の元同級生と結婚した。

【アグネス・ラムの現在】
芸能界からは引退しているが、2012年には今まで撮影されたの未公開写真を含めた写真集が発売されるなど、現在ではグラビアアイドルとしてある種の伝説的な存在となっている。

高見知佳

「追跡」司会者『高見知佳』
高見知佳プロフィール生年月日1962年7月9日(没年:2022年12月21日)芸能界入り地元ののど自慢大会日からのスカウトキャッチフレーズ-レコードデビュー1978年11月1日(シンデレラ)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-...
生年月日1962年7月9日
芸能界入りラジオ番組ののど自慢で注目されスカウト
キャッチフレーズ
レコードデビュー1978年11月1日(シンデレラ)

【高見知佳の70年代当時の活躍】
『チョメチョメ』という流行語を生んだ山城新伍司会のクイズ番組『アイ・アイゲーム』の解答者で出演し、珍解答をするキャラとして人気となる。

【その後の活躍】
1984年に発売したシングルレコード『くちびるヌード』がヒットした他、ゴールデンタイムの帯番組である『追跡』の司会者としても活躍した。

【高見知佳の現在】
結婚したメキシコ人と飲食店を経営しながら、稀に在住している沖縄を中心に芸能活動をすることもあるらしい。

川島なお美

芸能生活七変化『川島なお美』
川島なお美プロフィール生年月日1960年11月10日(2015年9月24日没)芸能界入り東京音楽学院名古屋校出身キャッチフレーズ-レコードデビュー1979年4月21日(シャンペンNo.5)主要音楽祭受賞歴(最優秀新人賞)-...
生年月日1960年11月10日
芸能界入り平尾昌晃歌謡教室名古屋校出身
キャッチフレーズ
レコードデビュー1979年4月21日(シャンペンNo.5)

【川島なお美の70年代当時の活躍】
70年代の芸能活動は、山城新伍司会のクイズ番組『アイ・アイゲーム』や、ラジオ番組『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』のアシスタント(アイ・アイゲームは後に解答者)を務めた程度で、基本的に80年代以降に活躍した。(レコードデビューは1979年)

【その後の活躍】
80年代に入って女子大生ラジオDJとして人気が出た後、バラエティ番組『お笑いマンガ道場』の出演で全国的な知名度を得ることになる。
その後はタレント活動を中心としながら、女優業も本格化していく。

【川島なお美の現在】
2015年9月24日、胆管ガンのため逝去。
ご冥福をお祈り致します。

第13章:その他!!

70年代のアイドルとして紹介しなければいけない、『その他』としか分類しようのない人たちがいるので別途紹介します。

ビューティ・ペア

メンバー生年月日ジャッキー佐藤:1957年10月30日
マキ上田:1959年3月8日
プロレスデビュージャッキー佐藤:1975年4月24日
マキ上田:1975年3月19日
キャッチフレーズ
レコードデビュー1976年11月25日(かけめぐる青春)
主な音楽賞受賞歴
紅白出場回数
オリコン1位楽曲数
代表曲76年:かけめぐる青春

【ビューティー・ペアの70年代当時の活躍】
第63代、第65代WWWA世界タッグ王座!!
女子プロレスラー界のアイドルとしてテレビなどによく出演していた。

【その後の活躍】
マキ上田は、プロレス引退後しばらく芸能活動を行ったが目立った活躍はなかった。
ジャッキー佐藤は、プロレス引退後『ジャパン女子プロレス』を旗揚げし、短期間だが現役復帰もしている。

【ビューティー・ペアの現在】
マキ上田は、48歳で結婚し料理店を経営。(お店の食べログ→https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131102/13041741/
ジャッキー佐藤は、 1999年8月9日、胃ガンのため逝去。
ご冥福をお祈り致します。

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