矢口真里やベッキーを許さない日本社会と、不倫をしても許される人、許されない人

芸能
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日曜日のワイドショー番組『ワイドナショー』にて、矢口真里さんが出演する日清カップヌードルのCMが1週間で放送中止になったことについての話題になりました。

お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志は社会の寛容の無さを指摘。お笑い芸人の小籔千豊は「不倫しても許される人と許されない人がいるのはおかしい」と日本のネット社会の論調に疑問を呈した。

引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160411-00010005-musicv-ent – Yahoo!ニュース

このなかで、ダウンタウンの松本人志さんは『社会の寛容の無さ』を指摘したようですが、これは現在の日本社会にある大きな問題かと思います。
確かに現在の日本には余裕がないところがあります。
バブル崩壊以降の日本の経済は低迷を続け、更には社会的構造の変化により貧富の格差も広がっています。
国外に目を向ければ、中国や韓国に対する経済的優位性も失われ様々な摩擦も起こっています。
このような日本の状況から、『社会の寛容の無さ』は生まれているかと思われ、松本人志さんの指摘はそれなりに的を射ているかと思います。

しかし、小藪千豊さんが指摘した『不倫しても許される人と許されない人がいるのはおかしい』というは、少しズレているように感じます。
矢口真里さんやベッキーさんは不倫をして社会的に大きな批判を受けていますが、この批判は単に不倫の問題だけではないような気が私はしています。
矢口真里さんに対してもベッキーさんに対しても、不倫をする前から、実は世間からの『ざっくりとした不満』が蓄積していたのではないでしょうか?

矢口真里さんやベッキーさんの芸能人としての能力は非常に曖昧なものであり、あそこまで売れている理由がイマイチ分からないという人はとても多かったと思います。
人によっては彼女たちをテレビで見るたびに『ウザい』と感じる人もいたことでしょう。
もちろん、彼女たちがお昼の番組などによく出演し、不倫を嫌う主婦などが主な支持層だったことも原因でしょうが、そもそも彼女たちは、何らかのミスをすれば一気に叩かれる予備軍だったような気が私はしています。

このような理由から、不倫をして叩かれる人と叩かれない人がいても、そこまで大きな不思議はないかと思います。
結局のところ、芸能人の不倫を許すか許さないかは視聴者及び社会が決めるしかないわけですが、今回はその社会が許さないと言っているので、1週間で放送中止という結果は仕方ないことでしょう。
そして、この社会の感覚に気づけなかった日清のマーケティング担当者は、能力が低いと言わざるを得ないかと思います。

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コメント

  1. かみかわ より:

    男のす 不倫は甲斐性 女なら 許し難きは 世の常なりと

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