高畑勲と富野由悠季がアニメに込めた反戦の思い

漫画・アニメ
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1979年から1980年に放送された『機動戦士ガンダム』は、ロボット(モビルスーツ)の描写こそ非現実的なSF要素が強かったものの、人間模様や背景で起こっている戦争の描写をリアルに描くことによって、戦争の残酷さを理解させる反戦を訴えたアニメであったと作者の富野由悠季さんはインタビューなどで述べています。
機動戦士ガンダムの1話冒頭で、ここ1ヶ月の余りの戦いで総人口の半分が死んだと作中で過剰なまでな戦死者が出ていることを説明していることも、戦争の悲惨さを際立たせるための演出です。
富野さんは1941年11月5日生まれで戦争経験もあり、また戦後の混乱期に幼少期を過ごしたため反戦の気持ちが強かったのでしょう。
しかし、実際に機動戦士ガンダムで人気を得たものは戦争兵器であるモビルスーツのプラモデルであり、富野さんは反戦を訴えるという目的を果たせなかったどころか逆効果だったとすら考えられるのです。
そういった影響もあってか、商業的に大成功したガンダムについて、富野由悠季さんはかなり否定的な意見を述べることが多くなっています。

日本には、反戦についてもっとストレートに描いたアニメがあります。
それは高畑勲さんが監督をした『火垂るの墓』です。
火垂るの墓は、SFやファンタジーなどの手法を使わず見事に反戦を訴えたアニメと言えます。
昨今のCG技術向上で考えが変わってきていますが、本来、アニメとは実写では不可能なようなことを描くものでした。
実写でできることは実写でやったほうがリアルだし手間もかかりません。
火垂るの墓は人間描写を中心とした実写的なアニメですが、実際に火垂るの墓が実写映画であったら、あの名作は生まれなかったと思われます。
なぜなら、実写で人の死をリアルに映し出すことは不可能だからです。
人が病気になって痩せていき最後は骨と皮になる描写なんて、どんな特殊メイクを使っても、どんな演技力のある役者が演じても、リアルに描写することは不可能でしょう。

それをアニメという手法を使ってリアルに描写したのが火垂るの墓であり、高畑監督はビーム兵器や超人技を使うこともなく、アニメでしか描写できない反戦作品を作り出せることを見事に証明してみせたわけです。
この火垂るの墓を観てアニメ関係者は衝撃を受けたと思いますし、富野さんは激しく嫉妬したかもしれません。
高畑さんは富野さんよりも世代的に少し先輩で、『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』では一緒に仕事をしているため(高畑勲が監督(演出)、富野由悠季が絵コンテ)、おそらく高畑さんは富野さんにとって意識する存在だったと思われます。
高畑さんは1935年10月29日生まれで、よりリアルな戦争経験を持っているため、2人の反戦に対するアプローチに大きな違いが出たのかもしれません。

実際に火垂るの墓を観たほぼすべての人は戦争に対して極めて強い嫌悪感をもつでしょうが、ガンダムを見て戦争に対して嫌悪感を覚える人はそう多くなく、反戦を訴えるという目的については優劣に大きな差が生まれてしまったようです。

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