マツコ・デラックスさんがTV番組で、現在のアイドルを軽々に『山口百恵の再来』と呼ぶことに嫌悪感を示したことが、話題になったようです。
このことについて、私のアイドル論をもって反論していきたいと思います。
まずは、話題にも挙がった山口百恵に対して正しい評価をしなければなりませんが、この作業を行うには、日本におけるアイドルの歴史から考えていかなければなりません。
日本で最初に”アイドル”と呼ばれたのは、1970年から1971年に放送された『おくさまは18歳』に主演していた当時の岡崎友紀と言われてます。
それまで人気のある芸能人たちは”スター”と呼ばれていましたが、岡崎友紀の登場以降はアイドルと呼ばれる芸能人が増えていきます。
このアイドルとスターの違いは、『若さ』と『親しみやすさ』です。
スターは年齢に関係なく呼ばれており、またどちらかと言えば近づき難い存在でしたが、アイドルは基本的に若い人を限定しており、スターと呼ばれていた人に比べ親しみやすい存在となっています。
近年はアイドルの高齢化が進んでいると言われていますが、このこと自体が本来アイドルは若い人に対して使う言葉であるという証明です。
元祖アイドルである岡崎友紀が登場した翌年の1971年には天地真理が歌手デビューし、その親しみやすさから”国民的アイドル”と呼ばれ、以降のアイドルは天地真理同様に歌手活動をメインとする人を対象に呼ばれるようになりました。
アイドルの定義をまとめると、
・可愛いorカッコいい
・人気がある
・若い(主に10代中盤から20代前半)
・親しみやすい
・歌手を中心としたタレント
これが、私の考える『アイドル五原則』です。
そして、このアイドル五原則を完全に体現したアイドルが1973年にデビューします。
それが、桜田淳子です。
彼女は、正に正統派アイドルでした。
一方、桜田淳子の同期で同じ花の中三トリオの山口百恵は、どちらかと言えば親しみやすいという感じではなく、笑顔の奥に何か悲しみがあるような独特の雰囲気のあるアイドルでした。(実際、彼女は複雑な家庭環境で生まれているなどの背景がある)
また、年齢にそぐわない過激な歌詞の歌を歌うなど、山口百恵は当時定着しつつあったアイドル像に対するアンチテーゼとして生まれた非正統派のアイドルなのです。
デビュー当時の山口百恵は、桜田淳子などの正統派アイドルに比べ人気が劣っていましたが、抜群の歌唱力でアイドルの殻を破り、スターへと成長していくことになります。
しかし結局、日本最大の音楽賞である『日本レコード大賞』の場で、大人から子供にまで愛されたアイドルであるピンクレディーに破れ(1978年のレコード大賞)、ついには引退するまでレコード大賞の獲得はできませんでした。
これが山口百恵のアイドルとしての正しい評価でしょう。
現在のアイドルは、1970年代から1980年代までのアイドルと明らかに違う点があります。
それは、グループで活動しているということです。
日本のアイドル界は、1990年代以降グループ型のアイドルが増えはじめ、現在はソロでアイドル活動をしている人は絶滅状態となっています。
かつては、アイドルがデビューする際に莫大なお金をかけてプロモーション活動を行い、当たれば大儲け、外れれば大損みたいな博打的な要素が高かったのですが、バブルが弾けてアイドル業界も博打的なプロモーション活動は難しくなっていきます。
結果、アイドルグループを結成してメンバー全員一括してプロモーション活動を行い、その中から何人か成功すればいいという考えが定着していったのです。
そのため、現在、スター性のあるアイドルはグループの中からが生まれます。
モーニング娘。の後藤真希
AKB48の前田敦子
などがその例で、今なら欅坂46の平手友梨奈がその立場にあると言えるでしょう。
また、アイドルは常に時代を反映するものです。
例えば、前田敦子がブレイクしたのは2010年前後ですが、当時の日本は長く不況が続き、就職難や非正規雇用などが大きな社会問題になっていました。
2008年にはリーマンショックや秋葉原事件が起こっており、当時の日本に経済的に様々な問題起こっていたことが伺えます。
前田敦子は、あまり前に出たくなく引っ込み思案というアイドルとは思えないような性格をしていましたが、それでもAKB48という巨大アイドルグループの中で頑張っていかなければならないということを、まさしく表現していました。
これが、日本全体が後ろ向きになりがちだったあの時代にマッチしたものと思われます。
もし前田敦子がブレイクした時代に松田聖子が登場しても、ただただ浮いてしまうだけだったかもしれません。
近年のアイドルはパフォーマンス力が低いという意見もあります。
具体的には、歌唱力や演技力が低いという批判的な意見です。
それはある意味事実なのでしょうが、その意見自体がアイドルの本質を理解していないと指摘せざるを得ません。
アイドルの本質とは、歌唱力や演技力が低くても人気があることなのです。
歌唱力が高ければ普通の歌手になればいいわけですし、演技力が高ければ本格的な女優になればいいわけで、アイドルに求められるのはそういった部分ではないのです。
言葉で全てを説明することは難しいですが、あえてアイドルに求められるものを一言で説明するなら、『愛嬌』ということになります。
現在のアイドルの歌唱力が全体的に低くなっていることは事実でしょう。
1990年代以降アイドルがグループ化し、現在は歌唱力より複雑なダンスを見せる方にシフトしていってるので、メディアで歌を披露する際も口パクが当然となっているため歌唱力が無視されがちなのです。
演技の面では、アイドル全盛期の1980年代などに『月曜ドラマランド』や『大映ドラマ』など、ある意味、演技力を求められないようなドラマが多数ありました。
映画でも、興行収入23億円を叩き出した映画『セーラー服と機関銃』(薬師丸ひろ子主演)など、正直ストーリーも設定もひどいの一言です。
このようなドラマや映画は、演技力が高いと却って浮いてしまいかねず、演技力が低いアイドルが主演したほうが適切とも言えます。
しかし、こういったドラマや映画が今はあまりないため、アイドルが演技力の低さが目立ってしまう傾向にあります。
これは時代が変わったとしか言いようがありません。
マツコ・デラックスさんは『山口百恵の再来』という表現について、TV番組内で山口百恵の活躍を知るジジイたちが山口百恵の再来を夢見ているだけだと、嫌悪感を持って主張していたそうですが、しかし山口百恵が凄く今のアイドルが劣っているという考えそのものが、ジジイの発想なのではないでしょうか?
以上、アイドルについて語るのはマツコ・デラックスよりクリス松村のほうが向いていると思います。(;^_^A
- 森保ジャパンから感じた危機感と鈴木彩艶選手の起用問題
- ラグビーという頭脳スポーツ
- 高畑勲と富野由悠季がアニメに込めた反戦の思い
- トミー・ジョン手術はドーピングなのではないか?
- 大相撲界に改革は必要なのか?
- 岡田斗司夫が行うアニメ考察のレベルについて
- なぜジブリはディズニーになれなかったのか?
- 48チーム出場となったサッカーW杯のグループリーグ・決勝トーナメント仕組み改善案
- 井上尚弥・大谷翔平・藤井聡太で1番すごいのは誰か?
- なぜ日本は野球が強いのか?
- 女子サッカーはなぜ面白くないのか?
- M-1GP2022におけるウエストランドのネタを徹底分析してみた!
- お笑いコンテスト(M-1グランプリなど)の審査方法改善案
- 最終章に入った『ONE PIECE』に感じる不安
- 2026年W杯のグループステージ3チーム制に対する懸念
- ベスト16で負けた日本代表への感謝一色に覚える違和感
- カタールW杯コスタリカ戦にみるチームスポーツの難しさ
- AKB48にとって恋愛禁止はルールではなく〇〇である!!
- 将棋棋士の社会性について(佐藤天彦九段ノーマスク問題の解説)
- AbemaTVと将棋界に対する苦言
コメント