千と千尋の神隠しのハク・千尋兄妹説を全力で否定してみた

漫画・アニメ
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You Tubeを見ていたら、たまたま気になる動画を目にしました。
それは、スタジオジブリの宮崎駿監督作品『千と千尋の神隠し』の登場人物である千尋とハクが兄妹であるという話で、調べてみるとサブカルチャーへの造詣が深い岡田斗司夫さんが2019年11月10日にニコニコ生放送で主張し、当時インターネット上でそれなりに話題になっていたそうです。
このハク・千尋兄妹説に大きな違和感を感じたので、以下で解説していきたいと思います。
まずは、岡田斗司夫さんのハク・千尋兄妹説の主張を御覧ください。

岡田斗司夫さんは上記の動画の中で、設定集やスタジオジブリにまつわる裏話なども用い千尋・ハクの兄妹説を説明していますが、そういった部分の話まで含めると解釈の幅が広がってしまうので、ここでは作中に確認できる情報だけを用い考えていきます。

岡田斗司夫さんが、作中のシーンを用いハク・千尋兄妹説を主張している部分は主に2点あります。
その1つ目は、千尋が銭婆(湯婆婆の双子の姉)の家から龍になったハクに乗り油屋に戻ってくるシーンでの話です。
千尋はこのとき、自分がかつて川に落ちたことを思い出すのですが、その回想シーンで川に向かって手を伸ばしている人物(川に落ちた人物)はTシャツを着ているのに、それを思い出している千尋は上半身が裸となっており、川に落ちた人と千尋は別の人物であると岡田斗司夫さん主張しています。
そして川に向かって手を伸ばしているのが千尋の兄で、千尋の代わりとなって川に流され亡くなり、その徳の深さから神様(ハク)となったというのです。

また、川に落ちたシーンの水しぶきは手を入れただけにしては大きすぎため、先に誰かが落ちてそこに手を伸ばしたとも主張していました。
しかしこのシーンで手が水に入るまで水しぶきは一切起きていませんので、岡田斗司夫さんの主張には矛盾があります。
おそらくこれは、川に子供が落ちるシーンを落ちる子供視線でリアルに書くことに様々な問題が生じるため、早い段階で水しぶきを上げてぼかしているのだと思われます。
もしくは川の中に落ちたということをアニメ的な手法として視感的に分かりやすくしているだけなのかもしれません。

更に岡田斗司夫さんは、ハクの川(琥珀川)が埋まってしまったことが死に対する暗示であるとも主張していましたが、これはハクが油屋に常駐していることの補足説明と思われます。
琥珀川が存在していたらハクは川の主としてその場に留まるはずなので、油屋に常駐することはできなくなってしまいます。
その矛盾を解消するため、ハクの川は埋まったことにする必要があったものではないでしょうか?

そして、肝心な千尋が上半身裸な理由についてですが、千尋が川に落ちたのは記憶がないほど昔のことなので、年齢にすれば3歳以下の出来事と想定されます。
しかし上半身が裸になった千尋の顔は一貫して現在の顔となっており、また目の前には千尋が乗っている龍となったハクの毛も見えています。
つまり、上半身が裸になっている千尋は現在の千尋のことを描いていると思われるわけです。

岡田斗司夫さんは、子供が上半身裸で水遊びをしている場面を想定して千尋の上半身が裸になっていると主張していますが、子供が上半身裸で遊ぶ場所は公演の噴水や家庭用プールぐらいで、川だったとしても極めて安全な浅瀬と思われます。
千尋は靴を拾おうとして川に“落ちた”わけですが、川で遊んでいて水害に遭う場合は、ほとんど場合“流された”という表現になるはずです。
しかし実際に描かれた上記の水しぶきシーンは、誰かが水に流されたのではなく、または流された誰かを救おうとしたわけでもなく、紛れもなく川に誰かが落ちている描写です。
川に落ちたと表現されていることから考えるに、千尋は予期せぬ状況で川に落ちたものと想定されます。
子供が安全対策の整っていない橋や川岸から用水路のような小さな小川を覗き込み、そのまま川に落ちてしまうようなことは実際にもある話です。(ハクの川はマンション建設のために埋められているので小さい川と思われる)
こんな予期せぬ状況で川に落ちるときに、上半身裸になっているなんてまずあり得ないでしょう。
つまり、川に落ちた千尋の上半身が裸だったという岡田斗司夫さんの主張には何重もの落ち度があるわけです。

では、なぜ服を着ているはずの千尋が裸で表現されているのでしょうか?
これは、本来なら一生思い出すはずもなかったであろう記憶を全身全霊で思い出そうとする千尋の現状を表しているものと思われます。
千尋が思い出そうとしている記憶は、初恋の相手(と思われる)ハクの人生にとってとてつもなく重大な記憶であり、なおかつ千尋にしか思い出すことができない記憶でもあります。
元の世界に帰ってしまえばハクに一生会うこともできないであろうことは10歳の千尋でも何となく理解できたでしょうし、その一生の別れが目の前に迫っていることも千尋は理解できていたはずです。
つまり、あの場面で千尋がハクの名前を思い出すということは、あの瞬間に千尋しか成し遂げることができない唯一ハクの人生を救える行為なのです。
そのため、千尋は完全に無心(周囲のものが気にならない状態)となって細い記憶の糸を辿っているわけで、それは表情からも窺い知れます。
千尋が裸になっているのは、この無心となった“服などを身に着けていない素の千尋”を表しているのだと私は思います。
もしくは、全身でハクを感じとりながら記憶を取り戻すということを表現しているのかもしれません。

いずれにせよ、上半身が裸になっている千尋は過去の記憶映像ではなく現在の千尋であり、川に落ちる記憶の中に2人(千尋と兄)の人物が登場しているという岡田斗司夫さんの主張には無理があり過ぎます。
更に、このシーン直後に交わされるハクと千尋のセリフをご覧ください。

ハク:私も思い出した。千尋が私の中に落ちたときのことを。靴を拾おうとしたんだよ。
千尋:そう。コハクが浅瀬に運んでくれたのね。

引用:千と千尋の神隠しの台詞より

この『私の中に落ちた』というハクのセリフを考えると、やはりハクは普通に川(琥珀川)の主であると考えるべきなのではないでしょうか?
岡田斗司夫さんの主張では、千尋を救うために後から兄(ハク)が水の中に飛び込んだということになっているわけですが、そうだとしたら『私の中に落ちた』というハク(千尋の兄)のセリフは絶対にあり得ないはずです。
岡田斗司夫さんの主張を最大限考慮したとしても、千尋が川に落ちた時点では千尋の兄(ハク)はまだ神様でもなければ水の中に飛び込んでもいないのですから、『私の中に落ちた』なんてセリフが出てくるわけもありません。

岡田斗司夫さんが千尋とハクが兄妹であると主張するもう1つ理由に、千尋に対する母親の態度を挙げています。
あの母親が千尋に冷たいのは、兄を死なせてしまった千尋に対し無意識的に冷たくしまっており、そういった母親の精神的な問題から千尋の一家は引っ越しをしていると岡田斗司夫さんは主張しているのです。
しかし、この主張にも問題があると言わざるを得ません。

千と千尋の神隠しは、現在っ子である10歳の少女が突然1人で生きていかなければならない環境に追いやられたときに、どう生きていくのかということが1つのテーマになっていると思います。
現在の子供は物質的には恵まれているはずなのに、どこか充実感を感じられないと思う人が現実的に多いのではないでしょうか?
いずれにせよ、『千と千尋の神隠し』の主人公は現在っ子でなければならないわけです。
しかし千尋が現在っ子であると観客に理解させるのに冒頭のシーン(夜になるまでのシーン)だけでは短すぎます。
そこで、母親を極端に現在風にすることで千尋が現在っ子であるという説明を補完しているわけです。
千尋の母親は10歳の子供がいるにはとても若々しく、アクセサリーや化粧などもかなり派手で、時には父親とイチャついたりもします。
子供(千尋)に対しては割り切った態度で接し、『子供は子供、自分は自分』のような現在的な考えを持っているものと想定できる描写も多くなっています。
このような母親に育てられた現在っ子の千尋が、突然不思議の世界に紛れ込むからこそ『千と千尋の神隠し』という映画は成り立っているのです。

ここで、少し千尋の家族のことを深堀りしてみます。
まず第一に言えることは、千尋の家庭はかなり裕福であるという点です。
千尋の父親が運転していた車は『Audi A4 クアトロ』という車(外車)で、当時700万円程度したそうです。
中古で買った可能性もありますが、いずれにせよ庶民が選ぶような車ではありません。
そして千尋の母親は、ズバリ専業主婦と想定されます。
物語の冒頭、千尋の父親が道を間違えたシーンで、千尋の母親は新しく住む自分の家を見て『あの隅の青い家でしょ?』と千尋の父親に対し聞いているのですが、このことについて違和感を感じないでしょうか?
自分が新しく住む家なのに、千尋の母親は明らかに関心を持っていないのです。
そのため、この家が新しく買った新築でないことは確実で、中古で買った家や自分で選んだ借家でもないのでしょう。
おそらく千尋の家族は父親は転勤により余儀なく引っ越しをすることとなり、住む家は会社側が用意(あるいは紹介)したと思われます。
引っ越しを要する転勤ということは通勤が不可能になるほど遠くに引っ越したということであり、単身赴任ではなく家族全員で引っ越してきたということは、母親は働いていなった可能性が高く専業主婦だったと思われるわけです。
この引っ越しを契機に会社を辞めた可能性もありますが、千尋の母親は派手な感じで真面目に働いているように見えず、仕事はしていなかったと考えるべきかと思います。

ここまでの話を整理すると、千尋の父親は1人で家族3人を支え高級外車を乗る高給取りの会社員で、転勤という事実まで踏まえて考えると大手企業の管理職と想定されます。
千尋の親は容姿の釣り合いが取れていない結婚をしているわけですが(母親のほうが明らかに容姿が良い)、そこには父親がエリート社員であるという事実が隠されていたわけです。
つまり千尋の母親は、お金を持っているか否かを最大限考慮して結婚相手を選ぶ“割り切って物事を考えるクールな性格”であることが窺い知れます。
そしてこの性格こそが、千尋に対して冷たい態度をとることの正体であり、岡田斗司夫さんが主張する兄が死んだため千尋に対し冷たい態度を取るという解釈は必要ないのです。

岡田斗司夫さんは、千尋の家族を生きていると言えない家族であり、それが正しい状態になることが『千と千尋の神隠し』の物語であると解説していましたが、もしこの家族に患っていたものがあるとしたら、それは“現代病”という現在社会に巣食う​得も言われぬ病だと私は思います。

仕事はしっかりこなすが自分勝手な父親
感情があまりなく冷たい感じの母親
イマイチやる気ない娘

千尋の家族は三者三様が自己中心的で何となくまとまりがなく、お金やモノに困らない生活をしながらイマイチ幸せそうに見えません。
こんな現在的価値観の強い家庭に生まれた千尋が不思議の世界に入り込むからこそ、千と千尋の神隠しは面白いのです。

以上、長くなりましたがハクと千尋が兄妹でないことだけは確実かと思います。

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コメント

  1. より:

    私はどんな作品でも誰でも好きに
    考察して楽しんで良いと思います
    公式が違うと言っても関係ないです
    それぞれの感じ方、考え方があるからです

    岡田氏と、3氏の考察を比較するに
    私は岡田氏の考察の方が面白く、
    信憑性があると感じました

    3氏の考察もこれからも
    楽しませてもらおうと思います
    どうもありがとうございました

    • 岡田 より:

      面白いかどうかは別にして信憑性という観点なら岡田よりこっちの記事の方があるだろ。
      岡田は自分の知ってる知識を広げて話を煙に巻くことに長けてるだけだからな。

    • 特になし より:

      自分も信憑性という点で、こちらの記事を支持します。記事内で太字になっている『私の中に落ちた』という台詞の違和感を払拭できないことが最大の理由です。

  2. ブログの著者(3)です。
    コメントに対し、記事本文の補足説明をしたいと思います。

    岡田さんは、千尋が落ちたとされる川として”小さい子供が川で遊ぶイメージ”を浮かべていました。
    おそらくは、以下のような河原と考えられます。

    https://www.youtube.com/watch?v=e0pWs2CAOgA
    https://www.youtube.com/watch?v=5MDr3FNhXZw

    作中の『(千尋が)落ちた』という表現を考慮すると、以下のようなもっと大きな岩のある河原かもしれませんが、3歳の女の子が大きな岩に登るとは考えにくいので、上記のような浅瀬で遊んでいた千尋が流されてしまったイメージなのでしょう。

    https://www.youtube.com/watch?v=xCgFe1nCgHM

    いずれにせよ、こういった子供が川遊びをするような川は、マンション建設で消えてなくなるような場所ではありません。
    これが、ハク・千尋兄妹説に対する大きな間違いの始まりなのです。

    一方、自分が考える千尋が落ちた川は、以下のようなものになっています。

    https://www.youtube.com/watch?v=__l9qOMHSQQ

    こういった小さい水路なら、実際に子供が近づいて落ちてしまいそうですし、マンション建設でなくなる可能性も十分に考えられます。
    川に落ちた千尋はハクにより浅瀬に運ばれているので、以下のようなもう少し自然が残る水路なのかもしれません。

    https://www.youtube.com/watch?v=gLrNw5mqulA

    このような水路は、元々名のある川の上流部だったりするケースもあるため、ハクが主であった琥珀川(コハク川)のモデルとしてぴったりだと思います。
    少なくとも、岡田さんがイメージした子供が裸で水遊びしているような浅瀬の川よりは、ストーリー上の整合性がとれています。

    そして、岡田さんが川に関する”間違い”を犯した理由こそが、岡田さんの特徴そのものと言えるのです。
    岡田さんはオタクの王様であるオタキングの異名を持っていますが、オタクの語源は『お宅』であり、家をあまり出ずに(アニメなどの)趣味に没頭する人を指す言葉として使われ始めました。
    つまり、岡田さんはアウトドア的な知識が乏しいと想定され、子供が川に落ちることに対する想像力が足りていないのです。

    間違ったイメージから発生した想定が正しいわけもないため、ハクと千尋が兄妹であるという岡田さんの主張は、やはり正しくないと思います。

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