英霊に噓をつき続ける靖国神社の矛盾

歴史
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本日、8月15日は終戦の日です。
戦死者が祀られている靖国神社では毎年この日は大騒ぎとなり、英霊が安らかに眠れる環境とはとても言えない状況です。
終戦の日である今日は、靖国神社について少し深く考えていきたいと思います。

日本における死者の儀式は、基本的に仏教が担っていることは日本人なら誰でも知っていると思います。
平安時代は貴族階級程度にしか仏教式の葬儀は行われていませんでしたが、鎌倉時代には庶民層にも広がり、江戸時代初期にはほとんどの国民が仏教式の葬儀を受けられるようになったそうです。
このように、日本での死者への弔いは歴史的に仏教が担ってきました。

にも関わらず、なぜ戦争で亡くなった人への弔いは、神道である靖国神社が行うのでしょうか?

普通に考えれば、戦争で亡くなった人も仏教的に弔うべきはずです。
100歩譲って神社で弔うとしても、戦死者の家の近くにある小さい頃から慣れ親しんだ神社で行うべきでしょう。

なぜ戦死者は、ほとんどの人が行ったことも見たこともない、更には歴史もない靖国神社に祀られなければならないのでしょうか?

ここで、少し国家神道と靖国神社について説明したいと思います。
幕末期に日本を二分した戊辰戦争は、江戸幕府を終わらせるほどの大きな内戦で死者の数もそれなりに多いものでした。
この戦争における勝者側(薩長同盟)の死者を祀ることはできないかと考え作られたのが招魂社という神社で、日本各地にこの招魂社が作られることになりました。
その招魂社の内、東京にあったものが後に名前を変え靖国神社となります。(その他の招魂社は、更に時代が経ってから護国神社と名前を変える)

その後、戊辰戦争に勝ち明治政府を起こした勢力は、ヨーロッパやアメリカに視察に行き国家運営と宗教(キリスト教)の関わりを学びます。
そこで学んだことを活かし、明治政府は新しい日本を作る際に神道を利用することにしました。
国によって神社を管理し、国民の意思を統合することが目的です。
これが国家神道というもので、その象徴たる神社が国家により運営された靖国神社なのです。
そして戊辰戦争で亡くなった人を祀る神社だったはずの靖国神社は、何故か日本の戦死者全般を祀る神社へと形を変え、日本が戦争を行う際の後ろ盾となります。
もし戦争で死んだとしても、靖国神社で神になれるというです。
このようなことを信じて死んでいった英霊が、現在、靖国神社で祀られています。

以上のように、靖国神社は千年単位の歴史を持つ神道の伝統を無視して、革新的発想で作られた神社です。
日本各地のどこにでもある、宮司もいないような神社ですら数百年の歴史がある場合がほとんどですが、靖国神社は150年ほどしか歴史がありません。
日本人の精神の支柱にある神道や神社とは全く異なる異質で革新的な神社に戦死者を祀ることは、ある意味、英霊に対する冒とくとも言えます。

にも関わらず、保守勢力はこの靖国神社を神格化しています。

確かに、戦死者たちは靖国神社で神になれると思い死んでいったわけですから、後世に残る者たちが神として崇めるのが筋かもしれません。
しかし、靖国神社で神になれるということは、国民を戦争に駆り立ててるために政府がついた方便だったわけで、英霊たちはこの事実を知らずに祀られているわけです。

我々現在人が、英霊に対しこれから先ずっと噓を続けて祀ることが、果たして正しいことと言えるのでしょうか?

私は、戦死者に対して哀悼の意を表する場所として、靖国神社が向いているとは決して思えません。
英霊に嘘偽りなく、そして安らかに眠っていただく場所が、新たに作られることをここに切に願います。

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コメント

  1. かみかわ より:

    靖国は 国を靖める 目的と 近代国家 伝統作り 神社には 名簿だけをば 祭りたり 遺体遺骨は 仏式葬儀

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