シリーズ日本の第二次世界大戦⑦ 東京裁判と日本の戦争犯罪人

歴史
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シリーズ日本の第二次世界大戦の最後は、日本の第二次世界大戦における犯罪行為を裁いた極東国際軍事裁判、通称『東京裁判』について書いていきたいと思います。

東京裁判は、個別の戦闘行為における犯罪行為というより、戦争全体を主導したものたちを裁くための裁判で、首相経験者を含む政府首脳陣や軍の指導者たちが起訴の対象となりました。
以下、東京裁判で起訴された人とその人の判決内容を列挙します。

【内閣総理大臣】
広田弘毅:死刑
東條英機(陸軍大将):死刑
平沼騏一郎:終身刑
小磯国昭(陸軍大将):終身刑

【その他大臣(陸軍大臣・海軍大臣を除く)】
賀屋興宣(大蔵大臣):終身刑
木戸幸一(内大臣):終身刑
東郷茂徳(外務大臣):禁錮20年
重光葵(外務大臣):禁錮7年
松岡洋右(外務大臣):公判中に病死

【官僚】
大島浩(独大使):終身刑
白鳥敏夫(伊大使)※:終身刑
鈴木貞一(企画院総裁)※:終身刑
星野直樹(企画院総裁):終身刑
※は日本陸軍予備役

【陸軍】
板垣征四郎(大将):死刑
木村兵太郎(大将):死刑
土肥原賢二(大将):死刑
松井石根(大将):死刑
武藤章(中将):死刑
荒木貞夫(大将):終身刑
梅津美治郎(大将):終身刑
畑俊六(大将):終身刑
南次郎(大将):終身刑
佐藤賢了(中将):終身刑
橋本欣五郎(大佐):終身刑

【海軍】
嶋田繁太郎(大将):終身刑
岡敬純(中将):終身刑
永野修身(大将):公判中に病死

【民間人】
大川周明:精神疾患のため訴追免除

以上の28人から病死した2人と訴追免除になった1人を除いた25人が東京裁判で裁かれ、この25人は俗にA級戦犯と呼ばれています。
そして、これらの人物を栽培たのが、以下の判事たちです。

ウィリアム・ウェッブ(オーストラリア):裁判長
マイロン・C・クレマー(アメリカ):ジョン・パトリック・ヒギンズから交代
ウィリアム・パトリック(イギリス)
イワン・M・ザリヤノフ(ソ連)
アンリー・ベルナール(フランス)
梅汝璈(中華民国)
ベルト・レーリンク(オランダ)
エドワード・スチュワート・マクドゥガル(カナダ)
エリマ・ハーベー・ノースクロフト(ニュージーランド)
ラダ・ビノード・パール(インド)
デルフィン・ハラニーリャ(フィリピン)

東京裁判を裁いた判事たちは、主に日本と戦った国とその同盟国、更に日本から被害を与えられた国で構成され、公平性を保つためか少数の中立的立場の国も入っています。

この東京裁判の起訴内容は膨大な数に及びましたが、最終的に以下の10の項目にまとめられました。

訴因1:1928年から1945年に於ける侵略戦争に対する共通の計画謀議
訴因27:満州事変以後の対中華民国への不当な戦争
訴因29:米国に対する侵略戦争
訴因31:英国に対する侵略戦争
訴因32:オランダに対する侵略戦争
訴因33:北部仏印進駐以後における仏国侵略戦争
訴因35:ソ連に対する張鼓峰事件の遂行
訴因36:ソ連及びモンゴルに対するノモンハン事件の遂行
訴因54:1941年12月7日〜1945年9月2日の間における違反行為の遂行命令・援護・許可による戦争法規違反
訴因55:1941年12月7日〜1945年9月2日の間における捕虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反

さて、皆さん突然ですがA級戦犯のA級がどういう意味かご存知でしょうか?
わからない人もいるかと思いますので、まずはこのことについて少し説明していきます。
第二次世界大戦の戦争犯罪は、以下の3つの罪に分けられました。

平和に対する罪(A級犯罪)
通常の戦争犯罪(B級犯罪)
人道に対する罪(C級犯罪)

この中で、平和に対する罪を犯した人をA級戦犯、通常の戦争犯罪を犯した人をB級戦犯、人道に対する罪を犯した人をC級戦犯と呼びました。(日本ではB級とC級は一緒にBC級戦犯と呼ばれる)
これは犯罪の種類で分けているだけ、A級のほうがB級より重い犯罪という意味ではありません。
むしろ東京裁判では、A級犯罪(平和に対する罪)で死刑になったものはいないため、B級犯罪のほうがより重い刑になりかねない戦争犯罪として捉えられていたようです。(東京裁判の死刑囚は、みなB級犯罪で有罪になっている)
C級犯罪については、そもそもナチスによるユダヤ人などへの迫害を裁くために採用されたもので、日本の戦争犯罪に対しては基本的に適応されていません。

上記した10の訴因の中で言うと、

訴因1から訴因36までが、平和に対する罪(A級戦犯)
訴因54と訴因55が、通常の戦争犯罪(B級戦犯)

になり、これらの点を踏まえ東京裁判で裁かれた戦犯を考えると、以下の3つにグループ分けすることができます。

【A級犯罪だけで起訴された人物(A級戦犯)】
平沼騏一郎:終身刑
賀屋興宣:終身刑
木戸幸一:終身刑
大島浩:終身刑
白鳥敏夫:終身刑
鈴木貞一:終身刑
荒木貞夫:終身刑
梅津美治郎:終身刑
星野直樹:終身刑
南次郎:終身刑
佐藤賢了:終身刑
橋本欣五郎:終身刑
岡敬純:終身刑
嶋田繁太郎:終身刑
東郷茂徳:禁錮20年

【A級犯罪とB級犯罪で起訴された人物(AB級戦犯)】
広田弘毅:死刑
東條英機:死刑
板垣征四郎:死刑
木村兵太郎:死刑
土肥原賢二:死刑
武藤章:死刑
小磯國昭:終身刑
畑俊六:終身刑
重光葵:禁錮7年

【B級犯罪だけで起訴された人物(B級戦犯)】
松井石根:死刑

以上の分類と判決内容を見ると、A級犯罪よりB級犯罪のほうが比較的重い刑になっていることがわかります。(※松井石根に至ってはA級犯罪で起訴すらされていない)

そして、このA級犯罪(平和に対する罪)には大きな問題があります。
それは、A級犯罪(平和に対する罪)が1945年6月26日から同年8月8日までのロンドン会議で提唱されたもので、第二次世界大戦時にはなかった法律であるという点です。
もしこの法を日本やドイツの戦犯に適応するとなると、それは事後法となり、『法の不遡及』という法律の大原則に反してしまうのです。
しかし、東京裁判でも、ドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判でもこのA級犯罪(平和に対する罪)は適用されていまいました。
しかも東京裁判では、まとめられた10の訴因の内8つが平和に対する罪でしたから、訴因理由のほとんどが事後法だったということです。(人道に対する罪も、議論が残るものの事後法である可能性が高い)
そのため、東京裁判におけるインドのラダ・ビノード・パール判事は、東京裁判で訴追された全員を無罪であると主張しました。
他の判事たちもこのような問題を感じていたのか、A級犯罪だけで死刑にすることにはほぼ全ての判事が反対したそうです。
このような状況から現在の日本の保守層は、東京裁判を批判し、全員の無罪を主張したりA級戦犯(松井石根含む)の名誉回復などを訴えています。

確かに東京裁判には問題が多々ありました。
しかし私は、東京裁判の判決はそれなりに納得のできるものであると考えます。
あれだけの戦争を起こした主導者たちの誰も責任を負わないような事態になれば、それは明らかに異常事態だと思いますし、実際の判決で出た死刑者の人数(7人)も決して多いものではないと思います。(BC級戦犯にも多数の死刑者はいるが)
そして、パール判事やオランダのベルト・レーリンク判事はこの問題について真剣に向き合い、最終的に東京裁判の判事団は、様々な国家的な思惑が駆け巡る当時の状況の中で、出来うる限り公平な判決を下したと私は思います。
特に死刑になった人以外は、獄中で病死した人を除き1956年3月までに全員が恩赦のもと釈放となり、その後は国務大臣になった人までいます。
この点を踏まえれば、彼らの名誉は十分回復されたと考えるべきでしょう。

死刑判決を受けた人は命を落としてしまったため名誉回復の機会すらありませんでしたし、その中には不当な死刑判決だったと思われる人もいます。
広田弘毅などがその例ですが、しかし彼の場合は公判中に何も語らず、あえてその道を選んだようにも思えます。(文官の責任を自分に集中させた狙いがあった可能性が高い)
いずれにせよ、当時の状況で行った裁判として、あれ以上のものを求めることは難しいと思います。

私はパール判事に尊敬の念を抱いていますが、東京裁判の被告が全員無罪という主張は日本人の私から見ても無理があると言わざるを得ません。
戦勝国の戦争犯罪が裁かれていないのだから、日本人が裁かれるのはおかしいと主張する人もいますが、しかしそれは根本的な間違いで、日本人が裁かれたことがおかしいのではなく、戦勝国の戦争犯罪人が裁かれないことがおかしいのです。
これは間違ってはいけない大事な点です。
戦勝国の諸問題が不問になっているから日本人のやったことも正しかったという考え方は、戦争を肯定する危険な思考であり、現実的に当時の日本がいくつもの戦争犯罪を犯していることは間違いありません。
そしてその日本の過ちを認めた上で、アメリカやソ連、その他当時の列強国もみんな戦争犯罪と言えるような大きな過ちを犯していることを指摘したいと私は思います。

そして現在の日本人は、東京裁判における事実をもっと知るべきでしょう。
未だに、東京裁判における戦犯を、A級から順に重い罪を犯した戦犯などと思っている人は多く、中にはA級戦犯を永久戦犯などと聞き間違っている人すら見受けられます。
更に外国人も、中国人や韓国人はA級戦犯の実態もよく知らず靖国神社のA級戦犯合祀問題を批判していますし、西洋人は日本のA級戦犯をヒトラーやナチス幹部などと同一視する傾向があります。

当然、第二次世界大戦期の日本は独裁国家ではないため、ドイツのようなヒトラーやナチス、またはイタリアのようなムッソリーニやファシスト党のようなものは存在していません。
しかし外国人は、日本の戦争犯罪者の中からどうしてもヒトラーに該当する人を見出したいのか、太平洋戦争開戦時の首相である東条英機をヒトラーのように扱ったりしているケースも目にします。
シリーズ日本の第二次世界大戦の1番最初の記事でも書きましたが、第二次世界大戦期の日本の首相は権限が大きくなく、東条英機に至っては首相に選任された時点で陸軍中将で、陸軍内には東条英機より上の階級である大将が存在していたのです。
そもそも統帥権の観点から日本軍の大将と首相は同格と見られており、日本の首相に軍部をコントロールできる権限はありませんでした。
このように、東条英機が独裁者のヒトラーのような人物でないことは明らかであり、当然、戦争責任者としてもヒトラーと東条英機は性質が全く異ります。

当時の日本は、

天皇は君臨すれども統治せずという姿勢を貫き、
首相は統帥権の問題で軍に対して命令ができず、
軍はあくまで軍隊なので政治に深くは関わらず、

と、結局、明確な責任の所在がないまま戦争を始め、強い指導者のもと戦争に突入していった西洋各国とはかなり様子が違うのです。
このことは、東京裁判で戦犯たちを追求するはずの検察官フランク・タブナー・JR.も、以下のように言及しています

この人たちは、ならず者ではない!
かのニュルンベルク裁判の被告ら、犯罪の方法だけを身につけ権力を持つ犯罪環境のクズとは別種の人物です。

東京裁判でのフランク・タブナー・JR.検事の論告求刑より

タブナー検事は、このように日本の戦犯たちがドイツのナチス幹部とは根本的に違うと明言しています。(ただし、東京裁判の被告は罪は追うべきだとも主張している)
更に東京裁判は、ドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判と違い、正式な判決書の他に判事の個別意見書が5つも提出されています。
内訳は、

同意意見書が1つ(デルフィン・ハラニーリャ判事)
反対意見書が3つ(パール判事、レーリンク判事、アンリー・ベルナール判事)
個別意見書が1つ(ウィリアム・ウェッブ裁判長)

であり、少なくとも3人の判事は東京裁判の判決に対し明確に異をを唱えているのです。
特にインドのパール判事とオランダのレーリンク判事は、正式な判決文よりも長いような膨大な量の意見書を書いており、東京裁判の判決に対して強い反対の意志を感じます。
この事実は、日本人の戦争主導者を、ナチスドイツの首脳陣と同じように裁こうとした東京裁判に問題があることを示唆するもので、日本の戦犯が『ナチス=悪』のような単純な縮図ではないことを示しています。
このような複雑な東京裁判や日本の戦犯における事実を、日本人はもちろん世界中の人が正確に知る必要があると私は思います。
特に、『A級戦犯=特別に悪質な戦争犯罪者』みたいな明らかに誤った認識は、なくなっていかなければならない問題と言えるでしょう。

以上が、東京裁判や日本の戦犯について私が思うことであり、当記事をもって『シリーズ日本の第二次世界大戦』を締めたいと思います。
最後になりますが、第二次世界大戦で亡くなった世界中の人々に対し黙祷を捧げると共に、二度とこのような戦争が起こらないことを切に祈ります。

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