シリーズ日本の第二次世界大戦⑥ ソ連参戦と北方領土問題

歴史
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現在、日本と韓国の間には竹島という領有権をめぐる問題があることは皆さんもご存知でしょう。
この竹島は、岩礁なのでそれほど大きくなく面積は0.21k㎡となっています。
一方、ロシアとの間で生じている領有権問題の対象地『北方領土』は、面積5,036k㎡と竹島のおよそ2.4万倍もの大きさを誇ります。
5,036k㎡と言われても大きさが分からないという人も多いと思いますので、都道府県の面積ランキングを用いて、その大きさを比べてみましょう。

【都道府県面積ランキング】
1位:北海道  83,424k㎡
2位:岩手県  15,275k㎡
3位:福島県  13,784k㎡
4位:長野県  13,562k㎡
5位:新潟県  12,584k㎡
6位:秋田県  11,638k㎡
7位:岐阜県  10,621k㎡
8位:青森県  9,646k㎡
9位:山形県  9,323k㎡
10位:鹿児島県 9,187k㎡
11位:広島県   8,479k㎡
12位:兵庫県   8,401k㎡
13位:静岡県   7,777k㎡
14位:宮崎県   7,735k㎡
15位:熊本県   7,409k㎡
16位:宮城県   7,282k㎡
17位:岡山県   7,115k㎡
18位:高知県   7,104k㎡
19位:島根県   6,708k㎡
20位:栃木県   6,408k㎡
21位:群馬県   6,362k㎡
22位:大分県   6,341k㎡
23位:山口県   6,112k㎡
24位:茨城県   6,097k㎡
25位:三重県   5,774k㎡
26位:愛媛県   5,676k㎡
27位:愛知県   5,172k㎡
28位:千葉県   5,158k㎡
※※:北方領土 5,036k㎡
29位:福岡県   4,986k㎡
30位:和歌山県 4,725k㎡
31位:京都府   4,612k㎡
32位:山梨県   4,465k㎡
33位:富山県   4,248k㎡
34位:福井県   4,190k㎡
35位:石川県   4,186k㎡
36位:徳島県   4,147k㎡
37位:長崎県   4,132k㎡
38位:滋賀県   4,017k㎡
39位:埼玉県   3,798k㎡
40位:奈良県   3,691k㎡
41位:鳥取県   3,507k㎡
42位:佐賀県   2,441k㎡
43位:神奈川県 2,416k㎡
44位:沖縄県   2,281k㎡
45位:東京都   2,191k㎡
46位:大阪府   1,905k㎡
47位:香川県   1,877k㎡

以上のように、北方領土は千葉県と福岡県の間の大きさとなっており、この記事を読む人中には、自分が住んでる都道府県よりも北方領土のほうが大きいという人も多いのではないでしょうか?
メディアなどでは領有権の問題として竹島が扱われることのほうが多いですが、日本は都道府県に匹敵するような面積を誇る北方領土を、ロシアに不当占拠されているわけです。

そもそもロシアの北方領土支配は本当に不当占拠なのか?

このこと疑問を持つ人もいるかもしれませんので、1つ1つ順を追って説明していきます。
まず日本は、1869年9月20日に北海道が制定されたた際、北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島)を行政区分に組み入れました。(この北方四島が俗に言う北方領土です)
更に1875年5月7日、日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、日本は樺太(サハリン)を領有権を放棄する代わりに千島列島の全ての島を手に入れます。
その後、日本は第二次世界大戦で負けたので、植民地や戦争によって手にした領土(台湾や南樺太など)を放棄することは仕方ありません。

しかし、第一次世界大戦より前に起こった領有権に関わる問題についてまで問われる必要はないはずです。

そもそもそんなことをしたら、戦勝国側にも不都合な事実が多数生じることでしょう。
樺太・千島交換条約は戦争を伴わない条約なので、本来なら日本は千島列島の島々の領有権を有しているはずなのですが、この樺太・千島交換条約は翻訳に問題があったため解釈が曖昧なところあり、両国間で多少の議論が生じています。
このことを考慮したとしても、少なくとも北方四島と呼ばれる択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島が日本であることは議論の余地がないはずです。

では、なぜロシアは現在に至るまで北方領土を実効支配しているのでしょうか?
それは、第二次世界大戦の終戦間際にソ連が日本への侵攻を始めたからです。

このソ連の日本侵攻には大きな問題があるのです。

日本は北方領土地域におけるロシアの前身国であるソ連と、1941年4月13日に以下で示す『ソ中立条約』を結びました。

第一条:両締約国は両国間に平和及び友好の関係を維持し、かつ相互に他方締約国の領土の保全及び不可侵を尊重すべきことを約す。
第二条:両締約国の一方が、1または2以上の第三国よりの軍事行動の対象となる場合には、他方締約国は該紛争の全期間中中立を守るべし。
第三条:本条約は両締約国において、その批准を了したる日より実施されるべくかつ五年の期間効力を有すべし。両締約国のいずれの一方も右期間満了の一年前に本条約の廃棄を通告させるときは、本条約は次の五年間自動的に延長さられたるものと認めらるべし。
第四条:本条約は成るべく速やかに批准されるべし。批准書の交換は東京において成るべく速やかに行われるべし。

大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国連邦間中立条約

簡単にこの条約を説明すると、第一条は不可侵の約束で、第二条は他国との戦争中も中立を守ることを約束しています。
そして第三条には、この条約の有効期間が5年間であると書かれており、条約の効力が発生された1941年4月25日から1946年4月25日まで日ソ中立条約が有効であることが約束されています。

このように第二次世界大戦期の日本とソ連は、1941年4月25日から1946年4月25日までお互いの領土に侵攻せずに中立を保つことが公に約束されていたのです。

しかしソ連はこの条約を一方的に破棄し、1945年8月9日から当時日本陸軍の関東軍が支配していた満州国に攻め込んできました。
北方領土については、日本がポツダム宣言を受諾した後の1945年8月18日に侵攻を始めます。
つまりソ連は、日本との中立条約を一方的に破り、更に日本が降伏を表明した後も侵攻を続けたわけです。

こんなことが許されていいのでしょうか?

もしこれが許されるというのなら、世の中にある国際ルールなど全て無視してもいいに等しくなってしまいます。
マフィアだってここまでのルール無視はしないでしょう。
結局ソ連は、ヤルタ会談やポツダム会談などで国際的なルールを破っても不問にするという密約を他国と結んでいたのでしょうが、中立条約を結んだ国に侵攻することも、敗戦を認め降伏宣言の受諾を表明している国に侵攻することも、極めて悪質であることに変わりはあません。
この北方領土へのソ連の侵攻については、日本人はもとより世界の人たちがもっともっと関心をもつべきかと思います。
その関心がなければ、北方領土の問題が解決されることはないと私は常々感じています。

以上、北方領土の返還を望み、当記事を終わりにしたいと思います。

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