シリーズ日本の第二次世界大戦③ 真珠湾攻撃と当時のハワイ

歴史
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太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃は、世界的に日本海軍による奇襲作戦だったとされています。
そして太平洋戦争における日本の主要な相手国だったアメリカは、『リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)』を合言葉に日本と戦っていくのです。
この真珠湾攻撃に関する世界的な評価について、私は前々から少し違和感を感じていました。
今回は、この真珠湾攻撃に感じる違和感について、いくつかの項目に分けて説明していきます。

真珠湾攻撃は奇襲攻撃だったのか?

第一次世界大戦以降、戦争をする場合は宣戦布告を行うことが国際的なルールとなっていました。
太平洋戦争に関しては、本来、日本側が攻撃の30分前に日米交渉打ち切りを示した『対米覚書』を交渉相手の責任者であるハル国務長官に手渡す段取りになっていたのですが、駐米大使の行動が1時間遅れ、結果として真珠湾攻撃は奇襲攻撃になりました。
当時の日本的には奇襲に類する攻撃はする気だったでしょうが、国際的な批判を回避するため奇襲にならないような手続きも並行して行っていたわけです。

今日において、真珠湾攻撃が奇襲攻撃であったかなかったと問われれば、それは奇襲攻撃になるでしょうが、意図的でなかった部分が十分あったことは間違いありません。

そして前回の記事でも書いた通り、アメリカ自体が日本からの攻撃を受けることを望んでいたため、アメリカ軍の警戒は十分可能で、実際に日本の暗号解読を行い太平洋上の米軍基地には警戒せよとの連絡を入れていました。
そもそも当時の日米関係はいつ戦争が起こってもおかしくない緊張状態だったので、後日の創作物で言われているような『日曜の穏やかな日に突然攻撃が起こった』という状況でなかったことは確実です。

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