犯罪と刑罰の正しき関係

社会
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日本の死刑囚が、死刑日を当日に知らされることは人権に問題があるとして裁判を起こしました。
この話を聞いて、死刑になるような犯罪をしておいて人権なんて語るなと思った日本人も多いことでしょうが、今回は犯罪と処罰という少し難しい話をしたいと思います。

現在、先進国で死刑を実施しているのは日本とアメリカの一部の州だけで、ほとんどの国で死刑は廃止あるいは実質廃止の状態にあります。
北欧のノルウェーに至っては最高刑が懲役21年で、日本で死刑になるような犯罪を犯したとしても、いずれ社会に復帰することができます。
なぜノルウェーがこのような犯罪者に甘い懲罰しか科していないのかというと、犯罪は社会悪の部分が大きく個人に対してすべての責任を押し付けていないためです。
そのため刑務所の中もかなり自由に行動するこができ、テレビを視聴することやゲームで遊ぶこと、面会時には配偶者や恋人と性行為をすることすら可能だそうです。
確かに犯罪を犯す人は育った環境に問題があり、性格などに歪みが生じている可能性が高いと思われます。
刑務所をその歪みを治すための施設と考えれば、行動を極端に規制したり永遠に刑務所にとどめておく必要はないのかもしれません。

ノルウェーの刑務所が受刑者に対して何に重きを置いているかというと、存在を認めることだそうです。
社会の中で存在価値を見出せば人は犯罪を侵さなくなるとの考えで、おそらくこれは犯罪心理学的に正しいことなのでしょう。
生また瞬間から犯罪者になりたいと思う人はいないわけですから、育っていく環境などに問題があったことに事実でしょうし、それは本人では回避できない問題の可能性も高いわけです。(親の虐待や極端な教育など)
そう考えるのなら、犯罪を起こした人間だけに罪を償わせることは確かに間違っているのかもしれません。
そして実際にノルウェーの再犯率は低く、上記した犯罪者(受刑者)への対処法は十分効果が認められています。

ヨーロッパ各国の再犯率はおおよそ70%程度ですが、ノルウェーの再犯率16%とヨーロッパの中で1番低くなっている。

多くの国で廃止された死刑を続けるなど、日本では懲罰的な刑務所が採用され再犯率も50%程度となっています。
実益(再犯率の低下)を考えるのなら、日本もノルウェーのような考え方で犯罪と向き合っていくべきなのかもしれません。

日本は犯罪率が低く、受刑者の中に職業犯罪者の割合が多いことも再犯率が高い要因になっている可能性もある。

とは言え、他の国でノルウェーのような犯罪との向き合い方ができるのかと問われれば、それは難しいと言えるでしょう。
少なくとも今の日本では100%無理と言い切れます。
人間には感情があり、日本では犯罪被害者の感情が重要視される傾向が強く現状で死刑に相当する犯罪者を21年で釈放してもいいと思う人はごく僅かかと思います。
例えば、女子プロレスラーの木村花さんが昨年インターネット上での誹謗中傷の後に自ら命を絶ちましたが、その母親の木村響子さんはインターネット上での誹謗中傷問題についての活動を熱心に行い、実際に木村花さんをSNS上で誹謗中傷した人物を特定し刑事告訴をしました。
木村花さんの場合はあくまで自ら命を断っているわけで、ネットでの誹謗中傷だけが死のすべての責任とは言い切れず、当然、生まれ育った環境も影響しているはずです。
しかし、そんな問題よりも母親である木村響子さんは誹謗中傷した人物への怒りを優先して活動しているわけです。
これは特別な例ではなく、現在の日本における犯罪被害者の普通の感情だと思います。
そして多くの日本人は、木村響子さんの活動を支持しネットで誹謗中傷した非難することでしょう。

近年、LGBTが世界的に認められるようになってきました。
これは医学の発展により、LGBTが自身では解決できないような生まれ持った特性であることがわかってきた影響が大きいと思われます。
ではこれから先、医学の発展により犯罪行為に至る脳のメカニズムが解明され、犯罪行為をすることが明確に生まれ持っての障害であると判明した場合、人類は犯罪者を認めることができるのでしょうか?
私は、それでもやはり人々は犯罪者を許すことはできないと思います。
明らかに再犯率が下がるというデータを示されても、犯罪行為が先天的な障害である言われても、それでも人は犯罪者を憎しむのです。
このように、犯罪に対する処罰については科学だけでは語れない部分も多く、世界中の人々が犯罪者に対しノルウェーのような考え方を持つまで価値観が変容するには、相当の時間を要すものと思われます。

以上、少し難しい犯罪と処罰についての問題を考えてみました。

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