今から私は問題発言をします。
それはパラリンピックに関して前々から感じていた違和感についてです。
近年、行政組織を中心にオリンピックとパラリンピックを何が何でも同列に扱おうとしている様子が伺えるのですが、パラリンピックは本当にオリンピックと同列に扱うべき大会と言えるのでしょうか?
当然、生まれながらに障害を持つ人や事故で障害を負った人に対する希望の光として、身体障害者スポーツおよびパラリンピックは素晴らしいもので今後も続けていくべきものだと思います。
しかしその点を考えても、やはりオリンピックとパラリンピックは規模が全然違うと感じるのです。
端的に言って、健常者のスポーツと身体障害者のスポーツは競技者の数が全く違います。
10000人の中から選ばれた選手と10人の中から選ばれた選手のどちらが素晴らしいかと問われれば、やはり10000人中から選ばれた選手のほうが素晴らしいことは間違いがないわけで、身体障害者に競技者が限られたパラリンピックをオリンピックと同レベルに扱うことにはどうしても違和感を感じてしまいます。
もしパラリンピックの規模がオリンピックと同じなら、それは世間に身体障害者が溢れかえっている状態になるので健全な社会ではないでしょう。
こんなことを言うと、パラリンピックの選手もアスリートとして素晴らしいと言う人もいるかもしれません。
確かにパラリンピックの中にはスポーツ的にみて素晴らしいものがあることは事実です。
しかし、アスリートだったら尚のことパラリンピックがオリンピックとはレベルが違うことがわかるはずなのです。
アスリートの観点で考えれば、オリンピックとパラリンピックが比較にならないことは紛れもない事実かと思います。
身体障害者に関する問題なので気安く発言できることではありませんが、スポーツ選手を目指していたものとして意見を言わせていただきます。
- 松本人志の週刊文春報道で問われるものとは?
- ジャニー喜多川の性加害問題で東山紀之を叩くことは正しいと言えるのか?
- 熱中症で亡くなった人に対する責任は誰にあるのか?
- 最低時給で生活するということ
- 日本経済低迷は誰の責任か? 小島瑠璃子の中国移住にみる現在日本の経済力
- 今の財政状況で日本は戦争ができるのか?
- 防衛費の増額が国防上マイナスになるかもしれないという話
- ミサイル発射によるJアラートや震度3での地震速報は本当に必要なのか?
- 人類最大の脅威は『慣れ』である!
- 統一教会への質問権行使に感じる自民党の自己矛盾
- 鈴木宗男の主張から感じる日本維新の会のヤバさ
- 日本の核武装論に感じる大きな違和感
- 日本の経済が伸びない理由と格差社会
- 安倍元首相の国葬問題について思うこと
- 変化を求めない現在の日本人(特に若者)について
- 大手マスコミが報じない新興宗教の問題
- 新型コロナウイルスに対する勝者と敗者
- 新型コロナウイルスが当たり前にある世界
- 新興宗教に対する問題の解決法を考えてみた
- 子供のスポーツが禁止になる? 規制だらけの社会へ突き進む現人類について
コメント