ケネディ大使のイルカ漁批判から食事とは何かについて改めて考える

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アメリカのキャロライン・ケネディ駐日大使が、ツイッターでイルカの追い込み漁に対して異を唱える投稿をしました。

なぜ、イルカを食べることはいけないのでしょうか?
なぜ、アメリカから日本の食文化に対し文句を言われるのでしょうか?

この問題について考えていきたいと思います。

まず、追い込み漁で捉えるイルカは絶滅に貧しているということはないでしょう。
追い込み漁という手法が非人道的という意見もありますが、人道的な狩猟など果たしてあるのでしょうか?
イルカは知能が高いから獲って(あるいは食べて)はいけないという意見もありますが、そのようなことを言ったら、哺乳類と鳥類の全て、更にイカやタコなどもみんな知能が高いので、獲って(食べて)はいけないことになるでしょう。

アメリカでは、19世紀に世界で最も多く存在する知的生物と言われたリョコウバトが、乱獲により100年近くで絶滅に追いやられました。
南北アメリカ最大の生物であるアメリカバイソンの乱獲も酷いの一言ですし、それどころかアメリカ人はインディアンという人間までもひたすら殺しまくっていました。
そしてアメリカは、非人道的兵器の使用を制限する国際条約にも全く署名していません。

このような国に日本の食文化や人道的な問題などについて文句を言われる筋合いは全くありません。

しかし、たとえアメリカに文句を言われる問題はなくとも、日本人はこのような食の問題に対ししっかりと考える必要があります。
イルカ漁に対しての批判はザ・コーヴという映画の影響も大きいですが、狩猟するシーンなどを映像に映せば、イルカに限らずどんな動物であっても、その行為は残酷に映るでしょう。
では、牛や豚のように家畜にすれば残酷ではないのでしょうか?
もちろんそんなことはなく、狭い小屋で食べられる目的のためだけに一生育てられるほうが、狩猟よりよっぽどひどいようにも捉えられます。
日本人なら、犬を食べると聞けば多くの人は嫌悪感を感じるでしょうが、そもそもなぜ牛や豚がよくてイルカや犬はダメなのでしょうか?
このようなことについて、日本人はもっと考えていかなければなりません。

だったら、一層のことベジタリアンになればいいと思う人もいるでしょう。
しかし、植物だって生きているということを忘れてはいけません。
採ってもまた生えてくる木の実や葉や草なら、さすがに問題がないと思う人もいるかもしれません。
しかし、植物にとっては子供のような存在である木の実を食べることや、まるで手足を切り取るかのように葉や草を刈ることが、その植物にとって好ましいこととも思えません。

結局、人は生きている限り、必ず命あるもの食べるのです。
もっとハッキリ言えば、人は生き物を殺して食料としているのです。
このようなことを踏まえ、人は生きていかなければなりません。

私は大人になってから、食べ物を残すという行為をした覚えがありません。
命あるものを食べる以上、食事を残すことなどあり得ません。
かと言って食べ過ぎて、どこかの国の人みたいにブクブク太ることもいけません。
また、テレビなどでは、未だに食べ物を粗末にしたりシーンが多々放送されています。
本来なら口に入るべき食品を、無駄に美容エステなどに使うケースも見受けられます。
このような、“食べ物=命”を粗末に扱う行為はできる限り止めるべきだと思います。

現在人は、食べるという行為に対して、本来あるべき感情を忘れすぎています。
命のあるものを食べる以上、その命がどのようなものであっても、最大限に敬意を評して食事をしなければならないと、私は常々考えます。

刺身のツマは本当に必要でしょうか?
完食するとタダになる大盛り料理の食べ残しはどうなるのでしょうか?

このような問題に関しても、日本人はもっと考えていく必要があるでしょう。
当ブログの3つ前の記事では日本の自給率について書きましたが、日本で捨てられている食材を考慮すれば、諸外国に頼ることがなくとも日本国民の食料を確保できるようにも思えてきます。

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