シリーズ著作権問題を考える① 現在社会において著作権は必要なのか?

社会
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今回から『シリーズ著作権問題を考える』と題して、日本の著作権問題を考える記事を5回連続で書いていきます。

そもそも私が著作権に対して強い疑念を感じるようになったのは、You Tubeなどの動画サイトで不正にアップロードされた動画を目にした際、コメント欄に『アップロードしてくれてありがとう』、『見逃したので助かった』などという感謝の言葉が並んでいるのを見たときでした。
違法なものに対して多くの人が感謝しているということは、法律や社会的なシステムに歪みが出ている感じたのです。
それから10年以上の時を経た現在も、この違和感は解決に至っていません。
むしろ、おかしい方向に進んでいる部分すら感じます。

Twitterなどといった短文のミニブログが出てきた際は、著作権に対し危機感すら感じました。
Twitterが日本で流行しだした際、『短い文章でも著作権侵害になる可能性があるので気をつけましょう』ということが盛んに言われていました。(主に歌詞に利用について)
逆に言えば、140文字以下(Twitterの文字制限)の短い文章でも著作権が発生する可能性があるということです。
これだけ個人が様々な媒体で何らかの文章を発表している時代に、どんどん著作権を認めていったら膨大な数の著作物ができてしまい、著作権が意味をなさなくなるのではかと感じました。
もっと明確に言えば、ほとんどの人が著作権を侵し侵されているという状態になってしまうということです。

更に昨今のAI技術の発展を考えると、もはや著作権は崩壊しているのではないかと感じます。
例えば、AIの機械学習により人間が作るのと遜色のないレベルの作曲が可能となったとします。
このAIによる作曲を、自動化プログラムにより1秒間に何万曲などといったハイペースで行いどんどん発表した場合、後に人間により作られた曲がAIが大量に作った曲と似ているケースも出てくるわけで、著作権侵害になってしまう可能性が出てきます。
もしこんな事態が実際に発生すれば、もはや誰も作曲ができない状態になってしまうことでしょう。
俳句や川柳などといった短い文章に至っては、全パターンの文字配列を自動生成することすら可能と思われます。

このように現在の著作権は様々な問題を抱えているのです。

究極的なことを言えば、もはや著作権は廃止するしかないと思います。
しかし現実はそうなってはおらず、むしろ著作権違反に対して法的に厳しくなる方向へと向かっているのです。

以上のように、インターネットやAI技術の発展により著作権は根本的に考え直さなければいけない時期が来ていると思い、著作権について次回から詳しく考えていきたいと思います。

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