平成以降に起こった将棋界のビックニュースをランキング形式でまとめました。
※ランクは個人の判断によるものです。
- 次点:66歳でのタイトル挑戦! 大山康晴最後の活躍
- 15位:毎日から朝日に変更? 名人戦の主催者変更における大混乱
- 14位:藤井猛の竜王三連覇&藤井システムの大流行
- 13位:最年少記録達成! 屋敷伸之のタイトル獲得
- 12位:中原誠と林葉直子の不倫報道
- 11位:森安秀光九段刺殺事件
- 10位:アマチュア強豪・瀬川晶司のプロ編入試験
- 9位:三浦弘行の将棋ソフトカンニング騒動
- 8位:羽生善治vs森内俊之、名人戦の戦い
- 7位:怪童・村山聖死す
- 6位:渡辺vs羽生 永世竜王をかけた戦い!!
- 5位:タイトル戦の席巻、羽生世代の活躍
- 4位:中学生棋士・渡辺明の登場と竜王戦での活躍
- 3位:第2回電王戦第2局、現役プロ棋士がコンピューターに敗れる!
- 2位:史上最年少棋士・藤井聡太の登場&連勝記録の達成
- 1位:羽生善治、七大タイトル完全制覇!!
- 盤外:個人的に1番衝撃だったのは・・・
次点:66歳でのタイトル挑戦! 大山康晴最後の活躍
1950年初タイトル(九段)を獲得して以降、およそ20年近く将棋界のトップに君臨した昭和の大棋士。
平成元年度の1990年(平成2年)には棋王戦で66歳にして南芳一棋王に挑戦した。この棋王挑戦は、タイトル挑戦の最高齢記録である(五番勝負は0-3で奪取ならず)。
昭和の怪物・大山康晴十五世名人は、なんと66歳になってもタイトル戦に出場するという快挙を成し遂げます。
翌1992年(平成4年)度の順位戦も休場せずに生涯現役を貫き、1992年(平成4年)7月、A級在籍のまま死去した。
上記のタイトル戦からおよそ2年ほどで、大山康晴十五世名人名人はお亡くなりました。
正に、死の直前まで第一線で活躍していたということです。
15位:毎日から朝日に変更? 名人戦の主催者変更における大混乱
1612年から続く将棋における最高の称号である。
かつては世襲制や推挙制であったが、1935年に実力制に移行されること発表され、1937年から名人戦としてタイトル化された。
現在は、プロ棋士のNo.1を決めるタイトルであり、もっとも獲得するのが困難なタイトルである。
2006年3月、日本将棋連盟理事会は第66期(2008年)以降の主催を朝日新聞社に移管するとの方針を示し、この時点での主催社である毎日新聞社に対し、契約を更新しない旨の通知書を送付した。
将棋界の最高の名誉である名人のタイトルをめぐり、日本将棋連盟と2つ新聞社の中で問題が・・・
長年名人戦を通じ棋界を盛り立ててきた毎日新聞社は激怒し、大きな問題となった。
それまで名人戦の主催者だった毎日新聞は、当然怒り心頭に。
毎日・朝日両新聞社と日本将棋連盟の間で、契約金などについて合意された。名人戦・順位戦は5年契約となり、契約金は両社合わせて年額3億6000万円、別枠の将棋普及協力金が年額1億1200万円となる。
結局、名人戦・順位戦は、毎日新聞と朝日新聞の共催となり、賞金総額も大幅にアップ。
日本将棋連盟は大きな利を得ることとなりました。
14位:藤井猛の竜王三連覇&藤井システムの大流行
藤井猛九段は、羽生世代と呼ばれる強豪が集まった世代のの1人で、振り飛車の名手として名を馳せる人気棋士です。
タイトル初挑戦。谷川浩司竜王との七番勝負で藤井システムを用い、4-0のストレートで破りタイトル初獲得(1998年11月18日)。「将棋世界」誌の表紙には「藤井システム、将棋界を席捲」の文字が印字された。
藤井システムという新戦法を考えだした藤井猛七段(当時)は、谷川浩司竜王(当時)に圧勝する形で見事タイトルを獲得しました。
従来の指し方は玉をまず美濃囲いに囲うのに対して、藤井システムは、居玉のまま飛車角銀桂香で攻める急戦戦法。
それまでの常識とされた「居玉は避けよ」「玉飛接近すべからず」という格言に反した指し方をして、それが戦法として成立したことから将棋界の革命とも言われる。
引用:藤井システムとは (フジイシステムとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
藤井システムは画期的な戦法で、当時の将棋界で大流行することとなりました。
竜王戦で羽生をフルセットの末4-3で下し、竜王戦史上初の3連覇を達成
藤井システムを武器に、藤井猛九段は竜王戦を三連覇するなど大活躍することになります。
13位:最年少記録達成! 屋敷伸之のタイトル獲得
屋敷伸之九段は研究時間1日1分という天才肌の棋士で、競艇好きとしても有名です。(日本モーターボート選手会の外部理事)
第56期(1990年度前期)の棋聖戦でも、本戦トーナメント(1990年3月27日 – 5月28日)を勝ち上がり、中原に2期連続挑戦。五番勝負(1990年6月18日 – 8月1日)では2連敗の後に3連勝して奪取。18歳6か月で初タイトルを獲得(タイトル獲得の最年少記録)。
前年に羽生善治が作ったばかりの史上最年少タイトル獲得(竜王、19歳)の記録を1年足らずで塗り替えた。また、プロデビューから1年10か月での初タイトル獲得も、歴代最速である。
羽生善治六段(当時)が10代でタイトル(竜王)を獲得したことは将棋界で大きな衝撃となりましたが、その羽生竜王(当時)が樹立した最年少タイトルを屋敷伸之五段(当時)が1年で破ったことは、さらなる衝撃でした。
12位:中原誠と林葉直子の不倫報道
大山康晴全盛の時代に現れた天才棋士で、プロ入り後1回もつまずくことなくA級棋士にまで上り詰めた他、20歳の若さでタイトルを奪取した。
その後、大山康晴の時代は終焉し、中原誠が将棋界の大盟主となっていく。
1998年、元女流棋士の林葉直子と長期にわたって不倫関係となり、堕胎させたと週刊文春が大々的に報じたことから騒動となり、テレビ番組などで連日報道された。
将棋界を代表する棋士の1人である中原誠永世十段(当時の称号)が、数年前に失踪騒動を起こしワイドショーを賑わした林葉直子元女流と不倫関係だったことが発覚。
中原永世十段は自宅前で律儀に記者会見を開き、林葉元女流との不倫関係を認めました。
1994年から1998年の間に林葉女流棋士邸の留守番電話に「とつにゅう」などと本人らしき肉声が録音されたテープが1998年にテレビのワイドショーなどで公開され、本人もテレビで記者会見に応じ、自身の見解を発表した。
中原永世十段が言ったとされる留守番電話の『突入』や『突撃』はワイドショーで何度も放送され、中原永世十段の真面目そうな雰囲気とのあまりのギャップに世間は大きな驚きを残すこととなりました。
11位:森安秀光九段刺殺事件
森安秀光九段は棋聖のタイトルを獲得したこともある強豪棋士の1人でした。
1993年11月22日、西宮市の自宅で当時12歳の自身の長男に刺殺された(森安九段刺殺事件)。享年44。その死は将棋界だけでなく、社会全体に大きな衝撃を与えた。
この事件はある意味将棋界最大の衝撃ですが、大規模な報道規制が敷かれたことと将棋と直接関係がない話題なのでランクは低めに設定しました。
これ以上の深い話は、リンク先でご覧ください。
10位:アマチュア強豪・瀬川晶司のプロ編入試験
瀬川晶司五段は、奨励会を三段で退会して以降、アマチュア大会で好成績を上げ続けた棋士で、戦後初のプロ編入試験を行ったことで話題となりました。
2005年2月末時点でプロ相手に17勝6敗、勝率0.739(不戦勝1を含む)という成績を収める。
アマチュアとして一部プロ棋戦に参加していた瀬川晶司アマ(当時)が、プロ棋士を圧倒し将棋界で大きな話題となりました。
全棋士の多数決(賛成129、反対52、白票8)でフリークラス編入試験実施が認められ、1944年の花村元司以来61年ぶりの編入試験となった。
瀬川晶司アマのプロ編入試験が特例で実施され、瀬川アマは見事プロ棋士となりました。
瀬川晶司のプロ編入をきっかけに、アマチュア選手が棋士になる新たな道筋が模索された。2006年の棋士総会の決議により、アマチュアからプロへの編入について、以下のような「フリークラス編入試験」が制度化された。
この瀬川晶司五段の例を基に、アマチュアからプロになる編入試験の道筋が開かれることとなりました。
その結果、今泉健司アマがプロ試験に合格しアマチュアからプロになることができました。
9位:三浦弘行の将棋ソフトカンニング騒動
三浦弘行九段は将棋界随一の研究かと知られ、毎日12時間研究しているという逸話も残っています。
2014年には17歳年下の女性と結婚したことでも話題となりました。(発表したのは2015年)
日本将棋連盟が15日から開催予定の将棋竜王戦に挑戦者として対局予定だった三浦弘行九段が出場せず、挑決で敗れた丸山九段が出ることになったと発表。
引用:<将棋>「対局中ソフト使用、一切ない」三浦九段が反論文書(毎日新聞) – goo ニュース
2016年の竜王戦が開催される3日前に突然挑戦者変更の一報が・・・
2016年夏以降、5人前後の棋士から三浦に対局中の離席が目立つという指摘があり、日本将棋連盟はスマートフォンなどによる不正の疑いがあるとして、10月11日、常務会において三浦に説明を求めていた。
なんと、竜王戦の挑戦者に決まっていた三浦弘行九段がスマートフォンによる将棋ソフトの不正利用をしていたとの疑惑が発覚。
第三者委員会による調査では「不正行為に及んでいたと認めるに足りる証拠はない」と判断され、2017年2月7日に将棋連盟から三浦に対し謝罪がなされた。
結局この騒動は数ヶ月間続いた末、三浦九段は不正行為をしていなかったという調査結果が出されました。
この結果を受け谷川浩司会長をはじめとした多くの理事は辞任、残っていた理事も次の理事選で一新される形となります。
新任された佐藤康光会長は三浦九段に対し謝罪、更に三浦九段に賠償金を払うことで今問題の和解が成立しました。
8位:羽生善治vs森内俊之、名人戦の戦い
羽生善治三冠と森内俊之九段は、同学年として小学生時代からしのぎを削りあった永遠のライバルです。
第60期将棋名人戦(2002)で森内が当時の丸山名人から奪取して以来、森内(7期)・羽生(4期)の二人で名人を独占している。トータルの名人獲得は、二人とも同じで、7期。
将棋界最高のタイトルの1つである名人は、なんと2002年から2015年まで森内俊之九段と羽生善治三冠が独占する形となりました。
羽生に先んじて、名人位通算5期で得る「永世名人」の資格を得た森内。その比類ない強さは、森内の「重厚な受け」にある。
引用:第93回 ライバルスペシャル 名人戦 森内俊之 VS 羽生善治 | これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
羽生善治三冠は将棋界の歴史上最高レベルの棋士ですが、森内俊之九段はその羽生三冠に先んじて永世名人の称号を獲得しました。
羽生は、森内に1年遅れで永世名人(十九世名人)の資格を得た。永世名人が2年連続で誕生したのは史上初。
森内九段に1年遅れて羽生三冠も永世名人の称号を手に入れることになります。
2000年以降の名人戦は、まさに羽生善治vs森内俊之の様相で、特に2011年から2014年までは4年連続で羽生善治vs森内俊之の直接対決となりました。
7位:怪童・村山聖死す
村山聖九段は、『東の羽生、西の村山』と並び称された強豪棋士で、『終盤は村山に聞け』と言われるほど終盤戦を得意としていました。
羽生三冠との直接対決は、羽生三冠の7勝6敗で、最後の対局となったNHK杯決勝は、村山の勝勢となりながらミスをして負けてしまった。
1998年春、癌の再発・転移が見つかり、「1年間休戦し療養に専念」する旨を公式発表。森は「1年休んだら弱くなるぞ」と言ったが、村山は「命のほうが大事ですから」と答え、森は「変わったな」と思ったという。
元々体調に不安のあった村山聖八段(当時)にガンが見つかり、長期休場することになりました。
広島大学病院の名札の無い病室でひっそりと過ごし、1998年8月8日、29歳で死去。薄れていく意識の中で棋譜をそらんじ、「……2七銀」が最後の言葉であったという。
休場後、復帰することなく村山聖八段はご逝去されました。
A級在籍のまま逝去したのは、大山康晴、山田道美、村山の3人だけである。
村山聖九段は、亡くなるまで将棋界の最高峰リーグであるA級リーグ戦の参加棋士であり、更に亡くなる数ヶ月前にはNHK杯将棋テレビトーナメント決勝戦にて羽生善治四冠(当時)と戦うなど、第一線級で活躍する棋士でした。
ちなみに、NHK杯の決勝では羽生四冠に負けてしまいますが、それ以降は5連勝して休場したため最後に負けた相手は羽生四冠ということになります。
6位:渡辺vs羽生 永世竜王をかけた戦い!!
渡辺明竜王は、近年まで羽生善治三冠と10戦以上戦って勝ち越していた唯一の棋士で、対戦成績は2016年10月現在、渡辺竜王の34勝32敗となっています。
※2016年に佐藤天彦名人が7勝6敗と羽生三冠に勝ち越す成績を残している。
第21期(2008年)は、4連覇中の渡辺に通算6期獲得の羽生が挑戦し、勝った方が初代永世竜王資格を得る大一番となった。
平成期に行われた将棋の大一番として、いの一番に挙がるのが第21期竜王戦です。
「永世称号決定戦」は全タイトル戦通じて史上初。
勝ったほうが永世称号を獲得するという対決は、今現在も将棋界唯一となっています。
結果は羽生の3連勝の後に渡辺が4連勝し逆転で防衛。初代永世竜王資格を獲得した。また、(竜王戦に限らず)七番勝負のタイトル戦での3連敗4連勝も、将棋界では史上初の出来事であった。
この対決は、7番勝負で羽生名人(当時)が3番先勝し圧倒的有利な展開となり、第4局でもあと一歩で勝ちというところまで進んだのですが、なんと大逆転で渡辺竜王が1勝をものにし、更にそのまま4連勝で永世竜王を獲得するという奇跡的な対局でした。
あと1期と迫った羽生三冠の永世竜王ですが、この対局から8年が経った現在も、その称号は獲得できていません。
5位:タイトル戦の席巻、羽生世代の活躍
羽生世代とは、主に羽生善治三冠と同世代の棋士、および羽生三冠より1学年上の佐藤康光九段と同学年の棋士を言い、強豪棋士が多数いることで有名です。
1990年ごろからは、森内と先崎が全棋士参加棋戦で優勝。さらには、郷田が同一年度に谷川に3度タイトル挑戦し、うち、王位戦で最低段位記録となる四段で初タイトル。佐藤は七冠へ駆け上がる途中の羽生(当時五冠)からいったん竜王位を奪い、初のタイトル獲得を果たす。
羽生世代と呼ばれる棋士には、羽生善治を始め、佐藤康光、森内俊之、郷田真隆、藤井猛、丸山忠久などの複数回タイトルを獲得した棋士が大勢いることで知られています。
1990年頃から現在に至るまで、タイトル棋戦やA級順位戦は、常に「羽生世代」の棋士達が主役となっており、各年度の7タイトルの過半数を占める状態が長らく続く。
平成の時代において羽生世代は、そのほとんどでタイトルを独占する状態となりました。
タイトル獲得数3期以上(九段昇段の基準の一つ)の者が6人、永世称号を持つ者が3人(羽生、佐藤、森内 = 2011年現在)もいるという、特異な世代となっている。
羽生世代は、羽生善治三冠以外にも、佐藤康光九段、森内俊之九段が永世称号を獲得しており、異常なまでの強豪棋士の密集世代となっています。
4位:中学生棋士・渡辺明の登場と竜王戦での活躍
中学生でプロ棋士になった渡辺明竜王は、羽生世代との世代間争いを長年1人で戦い抜いてきた孤高の棋士と言えます。
2000年3月、第26回三段リーグで13勝5敗の1位となり、同年4月に15歳で四段昇段(プロデビュー)。四段昇段を決めたのが中学3年の3月であるため、史上4人目の「中学生棋士」と呼ばれる。
渡辺明竜王は、平成で最初の中学生棋士です。
森内俊之竜王との第17期竜王戦七番勝負でフルセットの末に勝ち、2004年12月28日、名人とともに将棋界の二大タイトルの一つである竜王位を弱冠20歳で獲得した。
他の中学生棋士に漏れず、渡辺明六段(当時)も10代から将棋界で大活躍します。
第25期竜王戦で丸山忠久を4-1で下し、竜王戦9連覇。
特に竜王戦での強さは特出しており、初のタイトル獲得から9連覇を達成しました。
3位:第2回電王戦第2局、現役プロ棋士がコンピューターに敗れる!
電王戦は、ニコニコ生放送のドワンゴが主催する、プロ棋士vsコンピューター将棋の5対5の団体戦。
2012年に始まり、2013年から今の制度となった。
プロ棋士vsコンピューター将棋の対決もさることながら、今までにない演出で行われる将棋に、普段将棋を見ない層にまで話題が及ぶこととなる。
30日に行なわれた第2回将棋電王戦第2局・佐藤慎一四段vs.ponanzaの対局は、141手まででponanzaが勝利した。現役プロ棋士がコンピューターに負けたのは今回が初めて。
引用:将棋電王戦第2局はponanzaが勝利!!現役プロ棋士が初めて負ける(速報) – 週刊アスキー
現役のプロ棋士が、史上初めて公の場でコンピューターソフトに敗北しました。
このときの佐藤慎一四段(当時)は、見てられなかったですね・・・
全五局の対戦成績は、コンピュータ側の3勝1敗1分となりプロ棋士側の負け越しが決まった。
引用:電王戦第五局で三浦八段敗北 – プロ棋士1勝3敗1分でコンピュータに負け越す | マイナビニュース
団体戦としても負け越し、コンピューター将棋ソフトがプロ棋士と同等以上の力があることが証明されました。
Puella α(ボンクラーズ)開発者の伊藤英紀は第2回将棋電王戦PVでは2012年現在、既にプロ棋士を超えているとコメントしている。
この大会以降、もはやコンピューターソフトは人間(プロ棋士)の実力を凌駕し始めているのではないかという考えも広がっていき、将棋界における大きな時代の節目となりました。
そして、三浦弘行九段の将棋ソフトカンニング騒動へとも繋がっていきます。(三浦弘行九段はこの団体戦に大将として参加していました)
2位:史上最年少棋士・藤井聡太の登場&連勝記録の達成
藤井聡太四段は、詰将棋解答選手権に小学生で優勝した終盤型の棋士で、今後の将棋界を背負って立つことになるであろう注目の棋士でもあります。
2016年9月3日、日本将棋連盟の第59回奨励会三段リーグで13勝5敗の1位となり、10月1日付、14歳2か月でプロ棋士(四段)となる資格を得た。中学生でプロ入りを果たしたのは加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明に続く5人目で、14歳2か月という年齢は加藤一二三の14歳7か月を62年ぶりに更新する最年少記録。
最年少プロ棋士となった藤井聡太四段については今後の活躍を見ないと正確のランクは難しいですが、62年ぶりに最年少記録を更新しただけでも十分衝撃的なニュースとなっています。(予想以上の活躍でランキングを10位から2位に変更しました)
藤井聡太四段はこれでデビュー後負けなしの29連勝を達成し、歴代連勝記録の単独トップとなりました。
引用:藤井聡太四段29連勝、歴代単独トップ|棋戦トピックス|日本将棋連盟
なんと藤井聡太四段は、プロデビュー後1度も負けることなく将棋界の連勝記録である28連勝を超える快挙を成し遂げ、連日連夜マスコミが取り上げるなど『藤井聡太フィーバー』を巻き起こしました。
※2017年6月27日、藤井聡太四段の登場を10位から2位に変更しました。
1位:羽生善治、七大タイトル完全制覇!!
言わずと知れた平成の大棋士。
谷川浩司以来の中学生棋士で、1989年19歳でタイトルを獲得して以降、順調にタイトル数を増やし1996年に史上初の七冠達成。
その後もタイトル歴を重ね、通算90期という人知の及ばないタイトル数を獲得する。
46歳となった現在(2016年10月)も三冠を保持し、その実力は衰えるところを知らない。
羽生さんは、7大タイトルを同時に保持した唯一の棋士です。
引用:羽生と言ったら羽生善治だろ! 将棋棋士・羽生善治の凄いところまとめ
もはや説明するまでもなく、羽生善治三冠は将棋界の7つのタイトルを制覇した唯一の棋士です。
タイトル戦の数が6つ以上になった1975年度以降、全冠制覇は初の出来事で、翌日の新聞の一面を飾ったり、終局直後に生中継によるニュース速報が行われるなど、棋界にとどまらず社会全体で大々的に採り上げられた。
羽生三冠が七つのタイトルを独占したときの報道は凄まじく、ワイドショーなどのテレビ番組にも頻繁に登場していたため、将棋のルールを知らないような人でも羽生三冠だけは知っているという人が、今でもとても多いようです。
羽生さんは1991年3月18日の棋王獲得以来、今日現在に至るまで常にタイトルを保持し続けています。
引用:羽生と言ったら羽生善治だろ! 将棋棋士・羽生善治の凄いところまとめ
そして七冠達成以降、羽生三冠は今日に至るまでタイトルを保持し続けています。
盤外:個人的に1番衝撃だったのは・・・
この笑撃は忘れられませんww
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