理論的な科学発展と社会的な科学発展の違いについて

社会科学
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今は新型コロナウイルスの話題がメディアを支配しているが、少し前は“5G時代の到来”などと銘を打った科学的な番組がよく作られていた。『ドローン』、『自動運転』、『AI』・・・どれも、ここ数年で一気に話題となったワードたちだ。
こういった科学的な話題でメディアに登場する学者は、理論的な科学発展をもとに話を進めているケースが多く見受けられる。

5Gの時代で社会は一気に変わる
AIの活用で労働の大半がなくなる

などといった話をする科学者を見聞きしたケースがあるのではないだろうか?
しかし理論的な科学発展と社会的な科学発展は全然違うものだ。もっと端的に言えば、そんな簡単に世の中は変わらない。
例えば、スペースコロニーと呼ばれる宇宙で大勢の人が暮らすことが可能な施設は、数十年も前から技術的に作ることが可能だが、今現在もスペースコロニーは出来ていないし、おそらく数十年先にも出来ていないだろう。
そもそも人類は1969年に初めて月に行ったが、その後1972年を最後に月へ行った人はいない。つまり、科学的・技術的に出来ることを実際には行っていないのだ。

その理由はいくつかある。

経済的側面

科学的に可能になった技術であっても、経済的価値がなければ、それが社会に普及することはない。人類が月に行かなくなったのも、それが理由だ。(今後は分からないが)
また、どんなに素晴らしい技術でも、人間がやったほうが安上がりだったら広く普及しない可能性が考えられる。最先端技術で大量生産出来る工場よりも、安い労働力を使ったほうが経済的な効率が良いとの考え方が現状では支配的なのだ。
国家間や国民の経済格差が小さくなれば、こういった考えも減ってくるだろうが、それは科学技術の話ではなく、政治や経済の話と言えるだろう。

安全性の確認

科学的に可能で尚且つ経済的な価値がある技術であっても、安全性の確保が出来なければ、やはり普及することはないだろう。
特に人の生死に関わることは安全確認がとても重要になる。自動運転の普及に時間がかかっていることも、それが原因だ。
ドローンを使った空中輸送なども、そう簡単には普及しないだろう。空を飛ぶものは危険と隣り合わせでドローンの普及が進むと共に規制は強くなる一方なのだ。
空の安全については、三菱重工の旅客機がなかなか製造ラインに乗らないことからもよく理解が出来る話だ。

倫理観

人体や生命に関わる新しい科学が発明された際には、倫理的な議論が巻き起こることもある。
1997年に牛のクローン技術が発表された際には、世界中で大きな議論が起こったことは有名な話だ。そしてこの議論未だに決着を見せていない。
こういった論理的な議論のある科学は、そう単純には発展しないだろう

宗教

人々は、2020年現在でも科学的に無意味と思える宗教儀式を日常的に行っている。
宗教が科学的な理論を認めない例などはざらにあり、倫理観と同様に宗教が科学の発展を遅らせることは、過去の歴史から考えてもあり得ることだ。

おそらくメディアに登場する科学者が言うほど、劇的なスピードで社会は変化しない。
AIの発展により犯罪者が自動的に識別されるなどと恐怖心を煽ったり、中にはAIが暴走して人類と対立するなどと荒唐無稽なことを主張する人もいるが、上記してきたように人間社会は科学技術だけで発展するわけではないので、そんな簡単にAIが社会を支配することはないはずだ。

人間の社会は、科学、文化、政治、経済、倫理観、宗教などなどが複雑に絡み合って出来ている。
それを理論的な科学発展だけで社会の進化を論じるのは、どう考えても間違いと言えるだろう。

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