昔のピッチャーは球が早かった? 科学を否定する懐古主義について

社会科学
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ここ最近、元プロ野球選手の何人かがこんなことを言っていた。

『昔はスピードガンの性能が悪かった(あるいはなかった)だけで、実際は今と同じぐらい球の速度は早かった。』

科学的に考えてそんなことあり得るだろうか?
野球はチームスポーツの球技なので分かりづらいが、記録競技である陸上だったらこんな発言は出てこないだろう。
例えば100mのタイムは年々上がっているため、カール・ルイスがウサイン・ボルトよりも早かったという人はいない。記録として明らかなのだから当たり前の話だ。つまり、カール・ルイスが現役当時のまま現在に現れても、オリンピックでは決勝にすら出られないかもしれないのである。

野球も一緒で、江川卓や金田正一が当時の実力のまま現在に現れても、今の投手たちより優れているということはあり得ない。下手をするとプロにすらなれない可能性すら考えられるのだ。
投球のレベルも打撃のレベルも昔と比べたら上がってきているのは当然だ。それがスポーツというものだろう。
それを認めないということは、『人類における進化の否定、強いてはスポーツの否定』ということだ。

こらはスポーツに限ったことだけではない。

昔の映画は良かった
昔の芸人は面白かった

などと、懐古主義に浸る人も多く見受けられるがが、時代的な流行や社会的な問題はあるにせよ、基本的には映画も芸人も昔より現在のほうが面白くなっているはずだ。先人たちが残した遺産をもとに、それを超えようと現在人が努力する以上、何だって進化していくのだ。漫画だろうが料理だろうが基本的には時代とともに進化している。
それが人間のもつ最大の利点である『過去の情報継承』であり、これがなければ人類は、一生、石器時代を生きていることになるだろう。

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