少し前からアメリカを中心に、和服を着る西洋人に対して文化盗用であるとの批判の声が聞こえるようになってきました。
一方で、和服の本家である日本人は和服を着る西洋人を全く問題にしておらず、むしろ好感を持っている節すらあります。
日本の観光地では、外国人観光客への利用を見越したような和服のレンタル店もあるほどです。
なぜこんなあべこべな状況が起こるのかずっと考えていたのですが、ここ最近になってやっとその答えが分かりました。
その答えは、和服が普段着であるというです。
最近は着る機会が減っているとは言え、50年ぐらい前までの日本では普通に和服は着られていましたし、今でも日常的に着ている人がいます。
催事やお祭りなどで着る人も多いでしょうし、温泉に行ったときなど今でも普通に浴衣を着用します。
つまり和服は、ネイティブ・アメリカンやアボリジニーが着る伝統的な衣装とは全く意味合いの違う服なのです。
日本人は和服に対して、ネイティブ・アメリカンが伝統的な衣装に対して感じているような民族的なアイデンティティをそこまで感じてはいません。
この認識の違いが、日本人とアメリカ人と間に和服に関する考え方のズレを生じさせているようです。
和服と日本人の関係は、スーツとイギリス人の関係と捉えれば分かりやすいかと思います。
イギリス人はスーツに対してアイデンティティを強く感じることはなく、スーツを着る外国人に対し文化盗用だなんて主張はしません。
そもそも、そんな主張が不可能なほどスーツは世界中に人に着られています。
では、日本人はどんな服に民族的なアイデンティティ感じるのでしょうか?
古さだけで言えば、直垂(ひたたれ)という服が古墳時代から着られていたようなのですが、この直垂に対してアイデンティティを感じる日本人はほとんどいないでしょう。
神社の神主が着る狩衣やお寺のお坊さんが着る袈裟などは、宗教的な背景もありアイデンティティを感じる日本人が多いのかもしれません。
あるいは、日本の国技とも言われる相撲取りが着用する廻し(ふんどしの一種)に、強いアイデンティティを感じている可能性があります
確かに外国人が廻しをおちゃらけて履いていたら、バカにされているように感じがして頭にくる日本人も多そうです。
ただ、いずれよネイティブ・アメリカンにとっての民族衣装のように強くアイデンティティを感じる服は日本にないように感じます。
その理由は、日本が今でも普通に反映し日本人の数も多いからです。
一方、アメリカ人社会で大幅に人口が減ってしまったネイティブ・アメリカンは、様々のことに対し民族的なアイデンティティを感じやすい状況にあります。
逆にアメリカに住む西洋系の人たちは、自分たちの祖先がネイティブ・アメリカンを絶滅に近いほど虐殺したという負い目があるので、民族的な物に関する文化盗用について敏感になる傾向があるようです。
おそらく、これが和服に対する日本人とアメリカ人のちぐはぐな考え方の正体なのでしょう。
いずれいせよ、日本人が全くと言っていいほど問題視していない外国人の和服着用を、西洋人が批判するのはどう考えてもおかしいので、外国人の方は批判を気にせず和服を着てもらいたいと思います。
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