日本が朝鮮(朝鮮半島国家)を超えた時期はいつなのか?

歴史・文化
この記事は約5分で読めます。
<スポンサーリンク>

韓国系の海外の反応サイトで、日本が韓国(朝鮮半島国家)を超えた時期について議論になっていました。
その議論の中身を見ると、多くの韓国人は少なくとも高麗時代(~1392年)までは日本よりも朝鮮半島のほうが発展し国力が高かったと思っている人が多いようでしたが、実際はどうなのでしょう?

以前にも類似の記事を書いていますが、今回はもう少し詳しくこの問題を掘り下げたいと思います。

日本が列強国になれたのは運が良かったから? 独自発展した幕末期の日本の国力について
中国や韓国の反応サイトを見ていると、日本が19世紀に列強国入りできたのは『たまたまタイミングよく西洋化に成功したため』と当たり前のように考えている人がとても多いようです。 しかし日本の歴史的事実を確認していくと、実態が全然違うもの...

現在、シリアの内戦にアメリカやロシアが介入していますが、他国の戦争に介入するのは基本的に当事国よりも国力の高い国家となっています。
ベトナムの戦争に介入したアメリカ、アフガニスタンの戦争(1978年~)に介入したソ連なども強い国が弱い国の戦争に介入する形になっており、弱小国が強国の戦争に介入することはまずありません。
朝鮮半島には、三国時代に倭国(日本)と唐(中国)が介入した『白村江の戦い』(現韓国の錦江河口付近で起こった戦い)という戦争の歴史がありますが、この事実を考えると、日本は白村江の戦いが起こった西暦663年の時点で朝鮮半島国家よりも国力が高かったと思われます。
実際には、それよりも前から日本は朝鮮半島国家よりも国力が高かったと想定されるわけです。

古代のエジプトや始皇帝が築いた秦が巨大な国家であったことに議論の余地はないでしょう。
エジプトにはピラミッド、秦の始皇帝陵という世界最大規模の王墓がありますが、このような巨大な建造物を造るには、国民の統治がしっかりして高い国力が有していなければ成し遂げられません。
しかし、エジプトのピラミッドや秦の始皇帝陵よりも大きく世界で1番大きい王墓があるのは日本なのです。
世界で1番大きい王墓は日本の古墳時代に作られた『仁徳天皇陵』で、5世紀前半に造られました。
以上のことから、その頃の日本は既に朝鮮半島の国家を凌駕する国力を有していた可能性が高いわけです。

ただし、この時点で朝鮮半島の国家は三国(あるいは四国)に分かれ国力が分散していたこともあり、一概に当時の日本が朝鮮半島国家より国力が高かったとは言い切れません。
また国の発展度合いという観点で考えれば、この時代に最高の工業製品であった鉄器を朝鮮半島では紀元前2世紀頃から作られているのに対し、日本は6世紀まで製鉄技術を有しておらず輸入に頼っていました。
青銅でも武器や農機具は作れますが、鉄と違って青銅器は大きな力が加わると曲がってしまうので、国力の根源である武力や食料の生産力において鉄器の生産は欠かせないポイントと言えます。
そういった面では、日本よりも朝鮮半島国家のほうが進んでいたようです。

もう少し具体的な話をしましょう。
以下は、過去の世界推定都市人口のランキングです。

【西暦500年の推定都市人口ランキング】
1位:コンスタンティノポリス、400,000人(トルコ)※現在のイスタンブール
1位:クテシフォン、400,000人(イラク)
3位:洛陽、200,000人(中国)
4位:建康、150,000人(中国)※現在の南京
4位:アンティオキア、150,000人(シリア)
6位:テオティワカン、125,000人(メキシコ)
7位:カルタゴ、100,000人(チュニジア)
7位:ローマ、100,000人(イタリア)
7位:アレクサンドリア、100,000人(エジプト)
10位:長安、90,000~100,000人(中国)

20位:平壌、60,000人(朝鮮)

【西暦622年の推定都市人口ランキング】
1位:クテシフォン、500,000人(イラク)
2位:長安、400,000人(中国)
3位:コンスタンティノポリス、350,000人(トルコ)※現在のイスタンブール
4位:洛陽、200,000人(中国)
5位:カナウジ、120,000人(インド)
6位:シュリ・クシェトラ、100,000人(ミャンマー)
7位:アレクサンドリア、94,000人(エジプト)
8位:成都、81,000人(中国)
9位:アレッポ、72,000人(シリア)
10位:カーンチプラム、70,000人(インド)

19位:平壌、60,000人(朝鮮)
22位:飛鳥、50,000~60,000人(日本)

【西暦800年の推定都市人口ランキング】
1位:バグダード、人(イラク)
2位:長安、600,000人(中国)
3位:洛陽、300,000人(中国)
4位:コンスタンティノポリス、250,000人(トルコ)※現在のイスタンブール
5位:平安京、200,000人(日本)
6位:コルドバ、160,000人(スペイン)
7位:バスラ、100,000人(イラク)
7位:ラサ、100,000人(中国チベット)
7位:フスタート、100,000人(エジプト)
7位:レイ、100,000人(イラン)

※以降、日本の都市はほとんど時代で5位以内に入っているのに対し、朝鮮半島の都市は25位以内に入ることはない。

日本の都市人口における最高値は7世紀から8世紀前後に朝鮮半島の都市を超え、以降、今日まで逆転した事実はありません。
今は環境問題による人口分散や女性の社会進出による少子化問題もあり、都市人口の多さが国力の強さと単純なイコールではなくなっていますが、当時において都市人口の多さは国力を示すもっとも分かりやすい指標でした。
以上のことから7世紀から8世紀前後に日本は朝鮮半島以上の国力を得ていたことは確実かと思います。
鉄の生産技術においても、日本は平安時代(794年~)に現在でも敵わないようなレベルの刀剣を作るようになっており、世界最高水準の製鉄技術を有していたと思われています。

これらのことから導き出される『日本が朝鮮半島国家を超えた時期』という問題の答えは7世紀から8世紀前後と想定され、『白村江の戦い』が起こった663年が1つのキーポイントとなると思われます。

<スポンサーリンク>
ブログランキング

↑ ↑ ↑
更新励みになりますので、毎日の応援よろしくお願いします。

コメント

  1. 応援しております より:

    中国の歴史書宋書では倭国は5世紀の段階で朝鮮半島南部、百済を除いた地域の支配権を持っていたと記述があります。

Translate »