個の幸せと種の幸せは違うのか? 動物愛護について考える

生活
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これは今年の春の話ですが、私の家のトイレに小さなクモが入り込みクモの巣を張っていたことがありました。
私はこれも何かの縁だと思い、そのクモをそのまま放っておくことにしたのです。
更には、エサになる虫がいなくては困るだろうと思い、窓もほんの少しだけ開けておくことにしました。
その後、飛んでくる小さな虫などのエサにも恵まれ、そのクモは私の家のトイレで不自由なく暮らしていました。

しかし私は、そのクモを家に来てから2、3週間後に追い出すことにしました。
クモからしたら、『今更それはないだろ』と思ったかもしれません。
確かに我が家のトイレにいれば外敵もおらず安全に暮らせていけるでしょうが、子孫を残せる可能性はほぼ0%です。
小さなクモが自然で生き残れる可能性はとても低いでしょうが、それでも私がクモを追い出したのは、クモは生き残れる可能性よりも、子孫を残せる可能性の方を優先したからです。

つまり、個としての幸せより種としての幸せを優先した結果です。

私は、かつて動物関連の仕事をしていたことも動物愛護団体に所属していたこともあり、動物愛護の問題については普通の人より深く考えてきたと思っています。
そんな私は、近年の動物愛護について少なからず疑問を感じています。

近年、動物(主にペット)に関して、よく以下のことを言われます。

・危険なのでペットを家の中で飼いましょう
・不要の動物を産まないために不妊・去勢手術をしましょう

確かに、近年庭先で犬を飼っている家庭を余り見かけなくなりました。
しかし、果たしてこれは動物愛護として本当に正しい姿なのでしょうか?
本来、生物がもっとも重要視することは子孫を残すことであり、家の中で動物を飼うことや不妊手術や去勢手術をすることとは、まるで反対の考えです。
この点を考えると、現在における動物愛護はとても正しいとは思えません。

かと言って間違っているかと聞かれるとそうとも思えないところもあり、事実私も自身の飼う猫を家の中で飼い不妊手術もしています。
また、ペットショップなどで動物を何度も買い、自身が動物好きだと信じている人もいるかと思いますが、もし人間の子供が狭いケースに入れられ、大勢の人に見られながら買われていたとしたら、ほとんどの人がそれを虐待と感じるでしょう。
つまり、ペットショップで動物を買うこと自体が本来異常なことであり、動物愛護の精神には反している可能性もあるのです。
しかし、多くの人は動物をお金で買うことに対し何の違和感も感じていないのが現状だと思います。

このように、動物愛護の問題においては、動物を愛する気持ちとその反対の感情が入り乱れているのです。
動物愛護はとても難しい問題です。
私自身、この問題に関する答えを生きている内に見出だせる自信もありません。
おそらく動物好きで動物愛護に造詣が深い人ですら、小さな子供に『なぜ人は動物を食べているのに、動物愛護を考えるの?』と、質問されたら一瞬答えに詰まるでしょうし、誰もが納得できる答えをすることは難しいでしょう。
動物愛護のことを考え菜食主義を貫いている人も、結局は植物という生き物を殺すか一部を奪いとって食べていることには変わりありません。

正直、動物愛護のことは難しすぎて全くまとまらない記事になってしまいましたが、1に1人の人が動物愛護についてほんの少しでも考えてくれたら幸いです。

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コメント

  1. かみかわ より:

    日本人 子孫残せぬ 者増えて 何故に 犬猫 更に増やさん 十五歳 未満人口 犬猫に 劣りたる国 未来あるらむ 生物は 食物連鎖 中にあり カニバリズムも 良しとするなら

  2. 匿名 より:

    この動物愛護に関する主張
    大変よく分かりますよ。
    そして正論であります。
    動物に優しい3さん素晴らしい。
    あれっ?いつもの3さんがいない…

  3. ゴールド サークル より:

    失礼しました。
    俺です。

  4. ポニョママ より:

    私も いつも 難しさと疑問符持っています
    犬や猫を飼ったことはないのですが、金魚 亀 かたつむり ありました
    金魚は フナ並みに巨大化したので 川に放してしまったし 亀はベビーバスでは飼いきれなくなり 池がある友人に譲りました かたつむりも冬眠時期に合わせ 外の枯れ葉の下にはなしたり・・・
    ちょっとした 罪悪感を感じながらも やってしまった・・・

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